「『ちゃんちき堂』さんですか? ネットで知ったけど、偶然見つけられて、ほんとラッキー。奥多摩にウチのお墓があって、そこで会えるかなって思っていたけど、まさか(隣の)青梅で会えるなんて」
「さっき旦那が『いるぞ。今なら買えるぞ』って教えてくれたから、急いで追いかけてきたんです。大事にいただきます!」
スマホを片手に記念撮影までお願いされているのは、黄色いつなぎにトレッキングシューズ、からん、からんと腰とリヤカーにぶら下げたカウベルを鳴らしながらシフォンケーキを行商する、久保田哲さん(49)だ。
毎朝、妻・かおりさん(45)と手作りしたワンホールを8分の1にカットした、1個300円のシフォンケーキを、常時6~7種類、シフォン工房のある「レンタルカフェCafeころん」などで販売しており、週に3回は哲さんが行商に出ている。
神出鬼没で、次に出会えるのがいつになるかわからない希少性から、60個のシフォンケーキは、30分ほどで完売してしまう。
「これまでは予約分を入れても、1日10~20ホール分くらいしか作りませんでしたが、先日、テレビ番組で取り上げられたことで予約が殺到して倍増。忙しくなるから困るんです。頻繁に鳴る着信で仕事がストップするので工房の電話も切ってしまいました」
当の哲さんは困惑気味。じつは素直に喜べない理由があるのだ。
かつてはIT企業でコンサルタント業務に従事していた哲さんは、同じ職場のかおりさんと結婚。ところが10年ほど前、仕事の無理がたたり、うつ病を発症した。外出もままならず、電車に乗ることもできなかった。会社を休職し、“人と顔を合わせない通販ビジネスをやろう”と、療養中に考えていたという。
「同じコースを歩くと常連さんができちゃうでしょ。待たせていると思うとプレッシャーになるから、気のむくまま、適当に歩いて、行商しているんです」
無理をしてまで商売をして、うつ病を再発したくはないのだ。
「(会社を辞めても)1年半は傷病手当によって給料の6割が保障されたし、退職しても半年間、失業手当が出ます。それが打ち切られるまでに、次の仕事を探そうと思っていました」