■保育士生活で学んだ「だめな人なんていない」という考えが活動の根幹に
佐藤さんは短大を出て、保育士に。しかし、夢と希望を胸に就職した保育園で、佐藤さんは理想と現実のギャップに打ちのめされてしまう。
「保育園にもやはり“できる子”と“できない子”がいて。お遊戯会や音楽会などは、園としては経営もあるから『うちに通うと、こんなにできるようになります』というのを見せたい。だから、音楽会ではできない子の鍵盤式ハーモニカはそもそも音が出ないようにしていて……。私はそれがすごいショックで」
保育士1年目。3歳児クラスのお遊戯会で佐藤さんは、あえてその、できない子を主役に抜てきした。
「いつもメソメソして返事もじょうずにできない女の子。でも、とっても優しい子なんです。私、『この子なら大丈夫』と思ってた。お遊戯会当日、その子は舞台の真ん中で大きな声で歌って、ちゃんと役を務められて。もう、その子のお母さんはもちろん、ほかの保護者も、半信半疑だった先生たちも皆、感動し、号泣でしたよ」
このとき、佐藤さんは確信した。
「『だめな子』なんて1人もいない。それに、周囲が勝手に『だめ』と決めつけてしまって、生かされていない人が、世の中にはきっと大勢いるんだろうなって」
新人保育士の奮闘むなしく、園の“できる子優遇”方針は変わらず。夢破れた佐藤さんは、2年で退職。そして、すぐに結婚した。
「23歳のときです。相手は2歳年下のサラリーマンでした」
新婚生活は、郊外の夫の実家で始まった。夫の家は江戸時代から続く家で、佐藤さんは古い家のしきたりになじめず、苦しんだ。
「お風呂は当然、最後。食事も1人、床で食べた。それに、聞いたこともないいろんな儀式が。なかでも、いちばん困ったのが、新婚旅行で不在中、集落の人が集まって嫁入り道具をチェックしてたこと。たんすの中身まで。それも儀式なんだそう。でも後日、近所の人から『何枚も着物、持ってきたのね』とか『下着が派手』と言われて……。さすがに閉口しました」
加えて夫は人一倍、お金にルーズで、黙って借金を繰り返した。それでも、佐藤さんは耐え忍んだ。2人の子宝に恵まれたものの、やがて無理がたたって重度のぜんそくを患うことに。入退院を繰り返すようになってしまったのだ。
そして、結婚から10年目。夫の新たな借金が発覚したことを機に、子供たちを連れて家を出た。34歳。佐藤さんはひとり親になった。