■厳しい非難受ける保健所 内部から見た実際の姿は
撮影は昨年6月からスタート。月に数回、中野区保健所を訪れ、朝から晩まで保健所に張り付いた。
「基本的に職員の出勤から帰るときまで。保健所は朝8時半始業。夜は午後5時半の振り返りのミーティングが終わった後に帰ることもありましたが、だんだん状況が大変になってくると、午後10時、午後11時までいることも。感染者の数が増えたなどの報道があるたびに、気になって自分のカメラを持って行っていたから、最後の方は3日に1度のペースで通っていましたね。
ただ職員のそばにいて、カメラを回すだけです。もちろんインタビューはしますよ。『今の電話は何でしたか?』とか『ちょっとこのところ増えてきて大変ですね』とか。でも、基本的には働いている姿そのものを撮りました。職員の方もすごく迷惑だったんじゃないかとは思いますけど。臨時で応援に来ていて事情をご存じない方からクレームが出たりもしました」
第3波があった今年の年始は、「本当に保健所の電話が鳴りっぱなしでした」と述懐する。
「それでも感心したのは、保健所のみなさんが丁寧に対応していること。そのころ、新聞などでも“保健所はPCR検査を受けさせない”とか非難が多かった。今もそうです。“保健所から1週間も電話が来なかった”とか。保健所に対する市民の感情は決していいものではなかったと思います。でも、私が見た実際は対応がすごく丁寧で、感染した陽性者の1人1人の事情をちゃんと聞いていました。私は福祉の映像を撮ることが多いですから、寄り添っているというか、これが本当だなと思いました」
濃厚接触者の調査、自宅療養者の容体の確認、緊急入院先の調整……。保健師たちの業務は多岐にわたっていた。
「病気になったその人の全生活をフォローするわけですからね。たとえば、濃厚接触者の調査では1人に1時間以上かかることはざら。外国人の場合は通訳を介して、通訳と保健師と当人と電話で話すのでもっと時間がかかるんです。『解雇されてしまうので職場には感染したことを報告できない』と言われて職員が困り果てる場面もありました。『枕が変わると眠れない』といって入院を拒む人がいたり。きっと行きたくない理由にしたんでしょう」
感染者急増で保健師たちが休日返上で働く時期もあった。宮崎監督は彼女たちから「戦場のようだった」「家に帰ってもどうなるんだろうと心配で眠れなかった」「電話の音が耳からはなれず涙が止まらなかった」といった苦しい思いを聞いている。
「女性保健師が辛くて号泣した話を後で聞きました。映画にもあるんですが、保健師が顔も知らない人に電話で『気管挿管しなくてもいいですか?』と聞かなければならない状況があった。つまり生命維持装置、人工呼吸器をつけるために気管挿管をするんですが、『生命維持装置をつけなくてよければ、受け入れてくれる病院がありますけど、それでもいいですか?』と聞くんです。通常はドクターが診察して聞くいわゆる命の選択を、保健師が家族に聞かなきゃいけないわけです。
その夜、その件に対応した保健師が号泣したらしいの。もう耐えきれなくなって泣いたらしいです。その話を私は翌日聞いたの。電話対応されているときは気丈に振舞っていましたが。20代後半の女性保健師の方でした」