■受賞の晩餐は孫が作ったラザニアで
その晩、夫婦水入らずでお祝いの晩餐をしたと信子さんは言う。
「長女はイタリアの方と結婚して、孫はとても料理が上手。だから主人の大好きな、粉からパスタマシンで作ったミートソースのラザニアを持ってきてくれて。プロセッコというイタリアのシャンペンを開けて、2人で乾杯しました。いくら子供が大きくなっても、2人だけで過ごす時間って大事なんですよ」
真鍋さんは仕事の内容も信子さんには何でも話すという。今回の受賞を夫婦が二人三脚で受賞したと考えているゆえんだ。
’58年、東大大学院を修了した真鍋さんは、彼の論文を読んだ米国立気象局からスカウトを受け、渡米。それから3年後、真鍋さんはお見合いのため、一時帰国をした。当時、お見合いの名所として有名だった東京・渋谷駅前の西村フルーツパーラーで初対面を果たす。
「最初は“ただでロードショーが見られる”という気持ちだったんですが、(結婚相手に決めた)私の勘は間違っていませんでした。東京へ行ったとき、再訪したこともありました。主人はどこへ行ってもお見合いのときと同じクリームソーダを飲むんです。『変わったねえ』とか言いながら(笑)」
大学を中退し、淑郎さんと結婚を決め渡米。言葉の壁も立ちはだかったが、つらかったのは好きなものが食べられないこと。
「主人の好物はうな丼なんですね。でもいいレストランがなかったから、朝、港に着く船を待って買ってきて、私、自分でウナギを裂きました。タレも作りました。しょうゆはチャイナタウンがあるからそこから手に入れて。日本では料理が好きだったから料理教室にずっと通っていたんです」
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