■ある無戸籍だった女性の切ない姿が目に焼き付き、たらい回しにされても諦めない
いち屋を始めて5年ほどしたころのこと。ちょうどマイナンバー制度も始まっており、従業員らに住民票の提出を求めた。ところが、20歳前のバイト女性だけが、いつまでたっても応じてくれない。
「住民票はどうなった?」
「市役所で『ない』と言われたんです」
「そんなわけないでしょ」
思わず、詰問調になる市川さんだった。
「ふだんのまじめな仕事ぶりから、嘘をつくコじゃない。それで一緒に市役所に行くと、本当に戸籍がなかったんです。驚きました。彼女の母親は、『出生届を出すのが面倒くさかった』としか言ってくれないと。恐らく、複雑な家庭の事情があったんでしょうね。普通に生活してきた人が、1枚の書類が取れないだけで、この世にいないものとされる。その理不尽にふれ、ほっとけなくなって。その後は、弟さんにも協力してもらい、アルバム写真など、彼女がたしかに一緒に育ってきたという証拠集めから始めました」
市役所の戸籍課や奈良地方法務局と交渉を繰り返し、1年半かけて戸籍を取得することができた。
「ラッキーだったのは、このときの行政の担当者がみなさん“いい人”で、交渉がスムーズに進んだこと。これが厳しい対応だったら『二度と来るか』で、今の私はいなかったかも(笑)」
しかし、本格的に無戸籍者支援に乗り出すまでには、まだ2年の歳月が必要だった。
「ひとたび関わったら、その人の人生がかかっていることで、『ごめん、できなかった』ではすまされない問題だと、その責任の重さを感じました。そのうちに、あのバイトの女のコが戸籍を得て、銀行口座もカードも作れて無事に社会に旅立つんです。その姿を見て、やっぱり私は知らん顔はできひん、と思って。だから、あの2年間は、私にとっての助走期間だと思っています」
16年7月、「無戸籍の人を支援する会」を立ち上げた。
「無戸籍とわかり、行政を訪ねても、法テラスを紹介されたり、高額な弁護士費用を支払う結果となり、泣き寝入りすることになるケースがほとんど。行政側も『前例がないから法務局へ行って』と言いますが、しかし法務局でさえ無戸籍者をどう扱っていいかわからず、そこで支援が途絶えるのが現状なんです」
だから市川さんは、彼らの生きてきた証拠を集め、行政や裁判所と交渉する役目を引き受けた。
「無戸籍問題では、夫のDVや、離婚後300日以内に生まれた子は前夫の戸籍に入る“離婚後300日規定”問題なども絡んできますが、逆に言えば、これらは理由が明確で、役所や弁護士さんが関わることにより、ある程度は解決策も見えてきます。私のところに来るのは、もっともっと複雑で、自分が誰の子かわからなかったり、経済的にも切羽詰まっているケースが多いです」
こうして、無戸籍者の駆込み寺的存在となり、18年秋にはNPO法人に。当初は年間30件ほどだった問い合わせも、最近は毎日1~2件のペースで携帯が鳴る。
「やはり、マイナンバー制度が大きい。無戸籍でも、かろうじてバイトなどをしていた人まで、マイナンバー提出を求められるようになり、職を辞すしかなく、路頭に迷う人が急増しています。
彼らの多くは身を潜めて生活していたりで社会や学校との接点がなく、まずどこに出向いていいか、どう相談していいかわからない。たとえ勇気を振り絞って窓口まで行っても、『役所の人が醸しだす迷惑そうなムードに耐えきれなくて帰ってきました』という人ばかり。一方、私は、どんなにイヤな態度をとられても、人ごとだから耐えられるんですよ」
自嘲気味に言うが、そこには市川さんの強い使命感がある。
「活動のきっかけをくれたバイトの女のコの成人式での姿が忘れられません。無戸籍の彼女には招待状も来ず、でもみんなと祝いたくて会場には行くんです。心配でこっそり見に行った私は、会場前の庭で、晴れ着の女のコがたくさんいるなか、普段着の彼女が1人だけポツンと待っている姿を目撃して、もう切なくて、切なくて」
今でも、この話をすると涙ぐんでしまう。
「二度と、あんな思いをする人を出したくない」
その一心で、今日も市川さんは日本中の相談者のもとへと駆けつけていく。