♪おれたち 三兄弟 酒が好き 飲むほどに 愉快♪
軽快なタッチでピアノを弾き、鴨志田祐美さん(59)が歌いだす。弁護士の鴨志田さんが作詞作曲した『アヤ子のうた』だ。始まりは明るいワルツだが、途中で曲調が変わり、歌詞がストレートに突き刺さってくる。
♪目覚めたら 末の弟がいなくなってた みんなで探したけど 姿は見えず 三日後に見つかった 変わり果てた姿 警察は俺に言う「お前らが犯人」♪
アヤ子とは、原口アヤ子さん(94)のこと。1979年、鹿児島県大崎町で起きた「大崎事件」の主犯とされ、懲役10年の実刑となった人物だ。
しかし、事件発覚当初から、取調べ中も裁判中も、アヤ子さんは一貫して無実を訴えている。これまで3度、再審(裁判のやり直し)を請求したが、すべて棄却され、現在、4度目の再審請求を鹿児島地裁に申し立てている。
鴨志田さんは、司法修習生時代から19年、大崎事件に関わり、現在は、再審弁護団の事務局長を務めているのだ。
「この事件は、最初の再審開始決定から20年もたっています。無実の人であるアヤ子さんを、なぜ、いまだに無罪にできないのでしょう。いまの再審制度では、無実の人を救うことができません」
鴨志田さんは、そう説いて、全国各地で精力的に講演活動を行っている。
無実を叫び続けるアヤ子さんの半生を横糸に、アヤ子さんの雪冤を求める自身の半生を縦糸にしたノンフィクション作品「大崎事件と私~アヤ子と祐美の40年」(LABO)も出版し、周知のために尽力している。
「大崎事件では、これまでに地裁で2回、高裁で1回、再審開始決定が出ています。ところが、いずれも検察官の不服申し立てにより、開始決定が覆された。つまり、アヤ子さんは『有罪か無罪か』ではなく、『再審を行うか、否か』で、27年もの間、闘わざるをえなかった。これを私たちは『再審妨害』と呼んでいます。
日本の法律のルーツであるドイツではすでに『検察側の不服申し立て』は廃止されています。いまの日本の再審制度そのものを改正しなければ、冤罪被害者は救われません」
裁判記録によれば、79年10月15日、アヤ子さんの義弟が自宅横の牛小屋の堆肥のなかから遺体で発見され、事件が発覚。
被害者の長兄(アヤ子さんの夫)と次兄が犯行を自供した。殺人と死体遺棄容疑で取調べを受けるうち、殺人はアヤ子さんの指示、死体遺棄は次兄の息子も加えた4人の犯行だったと、2人の自白が変化する。
判決ではアヤ子さんが主犯、長兄、次兄、次兄の息子の3人は共犯とされた。共犯者3人は控訴もせず、服役。アヤ子さんだけは一度も自白していない。「あたいはやっちょらん!」と、否認し続け、最高裁まで闘ったが、有罪が確定してしまう。
10年の刑期を終えて満期出所したとき、アヤ子さんは63歳になっていた。出所後すぐに自宅へ戻り、夫を問い詰めた。
「なぜ、私に言われてやったと嘘を言ったの?」
「おまえには悪かった。刑事にきつく言われて、仕方なく……」
「あなたもやってないなら、一緒に再審請求をしよう」
夫は首を横に振るだけだった。
「俺はもう裁判なんて大変なことはしたくない」
アヤ子さんは、そんな夫を許すことができず、離婚。夫とはもう一緒に暮らせなかった。出所から5年後の95年4月、アヤ子さんは第一次再審請求に漕ぎつけ、さらに7年かかって、鹿児島地裁で再審開始決定が出た。
しかし、福岡高裁宮崎支部で再審開始決定は取り消され、06年、最高裁で棄却。11年もかかって、結局、振り出しに戻ったのだ。
鴨志田さんが初めてアヤ子さんに会ったのは、このころだ。司法修習を終え、弁護士として正式に再審弁護団に加わった。アヤ子さんは79歳になっていた。
「第二次の再審請求に向けた会議のときでした。アヤ子さんは、参加した弁護士一人一人に頭を下げ、みかんやおまんじゅうを配っていました。この穏やかそうな人が、刑事からどんなに脅されても一度も自白しなかった鉄の女? と、いぶかしく思うくらい、普通のにこやかなおばあちゃんだったのです」
ところが、会議がはじまると、アヤ子さんの形相が一変する。
「『あたいはやっちょらん!』。こんなに言っているのに、なぜ、裁判官も検察官も信じてくれないのか。無罪になるまで、あたいは死んでも死にきれん」
燃え上がる炎のように抗議する姿に、鴨志田さんは圧倒された。アヤ子さんは自分のためだけに無罪を主張しているわけではない。
「娘たちには『殺人犯の子』だと、肩身の狭い思いをずっとさせとる。孫や曽孫、末代まで迷惑がかかる。それが、あたいには耐えられん」
共犯とされた次兄は、アヤ子さんの出所前に自死。夫も、離婚から3年で病死した。アヤ子さんと前後して再審の申し立てをした次兄の息子も、再審開始決定が出る前に自死してしまう。
「アヤ子さんの一家は、同じ敷地内に兄弟それぞれ家を建て、毎日、顔を合わせながら、農業を営んでいたんです。その家族が冤罪事件で崩壊した。冤罪さえなければ、いまでも家族一緒にアヤ子さんの手料理を食べ、平穏に暮らしていたかもしれないのに……」
アヤ子さんが抱える理不尽な思い、やるせなさに鴨志田さんは唇をかんだ。