■アヤ子さんは穏やかでにこやかな人だった
当時、駆け出しの弁護士だった鴨志田さんに、アヤ子さんは頻繁に電話をかけてきた。地元で穫れたという米やみかんが頻繁に送られてくる。弁護費用を払えないことを申し訳なく思っているようだった。
国選弁護であれば、弁護費用は国が負担するが、再審請求事件は、国選弁護制度の適用外。弁護団は自己負担で活動するしかない。
再審請求は、そのつど、新たな証拠を提示しなければならないが、新証拠となる鑑定を出す専門家へも、日弁連の支援事件になるまでは、支援者からの寄付金や自分の講演謝礼などから、薄謝を出すのが精いっぱいという台所事情だった。
独立し、自身の弁護士事務所を設立したばかりの鴨志田さんは、離婚案件や破産事件、会社訴訟、刑事事件と、なんでも手がける“町弁”でもあった。それと並行して、大崎事件の再審請求を続ける多忙な毎日だったのだ。
支えたのは、夫の安博さんだ。長男・玲緒さん(30)は言う。
「父は、番組制作会社に勤め、地元のテレビ局でけっこう活躍していたので、退職して母のサポートをすると聞いたときは『そこまでするの』と、さすがに驚きました。
まぁ、父は、入社試験で母を見初めたくらいで、母の能力を誰より評価していたんです。『また赤字だ』と、母に小言を言いながらも、母の講演や再審事件のプレゼンで使うパワーポイントをプロの腕で作ってあげていましたね」
そんな家庭の事情を察していたのだろうか。アヤ子さんが、大量の煮しめを用意して、鴨志田さんを自宅に招いてくれたことがある。
「あたいが先生を忙しくさせてますからなぁ。先生には旦那さんと仲ようしてほしいんです」
ニコニコしながら、そう言った。
「アヤ子さんは、温泉で冤罪事件の支援集会が開催されても、温泉には目もくれず、ひたすら『あたいはやっちょらん』と訴え続け、『鉄の女』と呼ばれていました。何年たっても、初対面のときと変わらず、私とは無実を晴らしてくれる弁護士として向き合い、軽口や無駄話はほとんどしない人です」
再審への強い執着が、アヤ子さんを激しい人に見せていた。
「でも、本来のアヤ子さんは、煮しめを作ってくれたときのような穏やかでにこやかな人だったんだろうなと思います」
再審弁護団は現在、事件の真相をこう捉えている。
「被害者は、遺体発見の3日前、自転車で側溝に落ちている。このとき致命的な傷を負った。被害者の死因は、この傷が原因の事故死であり、絞殺ではない」
地裁、高裁と2連勝だった第三次再審請求だったが、19年6月、最高裁で棄却され、弁護団に衝撃が走った。アヤ子さんはすでに92歳になっていた。第四次再審請求は、高齢のアヤ子さんに代わって、長女の京子さんが申し立てた。
アヤ子さんは数年前、脳梗塞を患い、言葉が出せなくなっていた。とはいえ、耳は健在で、話しかけると反応してくれる。
昨年の春、鴨志田さんは彼女の病室を訪ねた。事務所を設立したころから、弁護団仲間が結成したバンドに参加するようになった鴨志田さん。
「さまざまな冤罪被害者の講演や支援の集いで、ピアノを弾いて、みんなで合唱すると、冤罪被害者も支援者も、弁護士も一体になれる。やっぱり音楽はいいなぁと改めて思うようになったんです」 そんな思いから『アヤ子のうた』を作ったのだ。
「この曲は、事件の共犯とされ、病死したアヤ子さんの夫の視点から作っています。彼が天国で見ていたら、きっと、こう伝えたいのではないか、と」
ラストはこんな歌詞だ。
♪おれたち三兄弟 酒が好き 今は 天国で 飲んでる だけどアヤ子 お前はまだここに来ちゃいけない 無実をきっと 晴らすまで♪
静かに歌を聴いていたアヤ子さんが、突然、体を起こそうとした。何かを伝えようと、もの言えぬ口を大きくぱくぱくと動かした。
「あたいはやっちょらん。無罪になるまで、生き続ける!」
そんなアヤ子さんの声が聞こえたような気がした――。
(撮影:永野一晃/高野広美)