■いつの日か、何でも話せる友達を。工房から一歩ずつ、挑戦を続けていく
取材中、お店は仕込み日で閉まっていたが、今年3月から冷蔵機能のあるロッカー式の「みいちゃんの自動販売機」が店頭に設置されていて、焼き菓子などを買うことができる。
冒頭の女性が購入したのは、“みいちゃんのハートフィナンシェ”。
「この繊細なデザインとカラフルなお菓子を見てるだけで、もう、心がほっこりしてきました」
見た人、食べた人の心を瞬時につかむ、みいちゃんのお菓子の不思議な魅力。その基になっているのが、今は中3となり、養護学校に通っているみいちゃんの“こだわり”だと、千里さんは言う。
「場面緘黙症という病気の特性であるこだわりが、お菓子作りに大きく反映されていると思います。みずきは、その日、作りたいと思ったものを作ります。自分の思いを突き詰めて、その感情をケーキに込めているんです。こだわりということでは、近所の農家さんに収穫体験に行ったことがきっかけで、地元産の材料をよく使うようにもなりました」
そこから“みいちゃんの玄米サブレ”などの新商品も生まれた。
リピーターも多く、オープン後に始まったオンラインショップでは6カ月待ちの商品も。
「最初にお話ししたように、みずきはマイペースなうえにこだわるので、どうしても生産量が追いつきません。注文がたまるのは申し訳ないし、赤字も続いています」
ずっと娘を見守るスタンスができていた両親だったが、オープン後の注文殺到を前に、一度はどちらかが仕事を辞めて店の営業日を増やすことなども検討したという。だが、
「私たち夫婦は、今までどおりにフルタイム勤務を続けて、ケーキの売り上げを生活の基盤にするようなことはしないと決めました」
すべては、みいちゃんに、今までどおりにケーキを作り続けてほしいと思ったからだ。
「一度だけ、みずきのスマホ画面が目に入ったことがありました。ズラーッとまだ作っていないケーキの名前とレシピが並んでいて、驚きました。そのとき、あの子の小さなころを思い出したんです。かんしゃくを起こしては家族を困らせたみずきですが、きっと私たちの何倍も外からの刺激を受け止めて、感情を爆発させていたんですね。ですから、今は、その感情をケーキ作りに反映できるような環境を用意してあげるのが、私たちの役目と思っています」
その一方で、いつも一緒にいる母親だからこそわかることもある。
「思春期になって、これまではなかった工房での変化もあるんです。今日はケーキ作りにノッてないなとか、レシピが送られてくるのがやけに遅いなとか。中学には通っていますが、いまだに給食は食べられず、午前中だけの通学です。10代半ばの女の子の心は、たとえ病気を抱えていなくても揺れるものですよね」
先日のこと、みいちゃんの双子の兄・一樹さんが自宅に友人を連れてきた。その後、兄から聞かされたみいちゃんの言葉は千里さんに重たかった。
「私には言いませんでしたが、一樹がお友達と楽しそうに遊んでいるのを見て、『いいなぁ』と本音を漏らしたそうなんです。だから、みずきにも、なんでも話せる友達が一人でもいいからできるように願っています。普通の子がしている遊びを、いつかできるようになるといいですね。ヒントはあるんです。アイドルグループが好きだから、LINEなどを通じて“推し”仲間ができればと」
思春期の苦悩を乗り越えようとするとき、やっぱり支えとなるのは家族と工房の存在だろう。
「来春は、高校進学が控えています。これも、本人とも話して、みずきも『行く』と言っています。前に踏み出すことができるというのも、帰ってくる場所があるからだと思うんです」
千里さんは、折に触れて、みいちゃんに言い続けている。
「ずっと、このままじゃないからね。いつか、みんなとも話ができるようになるからね」
みいちゃんからの返事は、残念ながらない。そんなとき母は、彼女の小6の卒業文集の「私の夢」と題された作文の最後を思い出す。
〈中学校に行きながら3年後にケーキ屋さんをグランドオープンできるようにがんばります。私はみいちゃんのお菓子工房でみんなに笑顔を届けます〉
今は言葉はなくても、ケーキやプリンに一つずつ描き込んでいくハートやスマイルマークで、みいちゃんはずっと、みんなに語りかけている。