■子どもに障害があることで、母親が泣きながら謝らなければならない社会は間違ってる
このとき、誠さんは「将来は弁護士になる」と心に誓った。だが、高等部に進み大学受験を目指す彼の前に、分厚い壁が立ちはだかった。
「受験勉強しようにも、点訳された参考書や問題集がないんです」
そこで誠さんは、盲学校の先生や先輩にお願いして、点訳ボランティアを募るところから始めた。膨大な量の参考書を、点字に訳してもらったのだ。受験可能な大学探しも苦労した。当時はまだ多くの大学が、視覚障害者に門戸を閉ざしていた。
「それでも、慶應義塾大学が受験を認めてくれて。僕は一浪ののち、同大学の法学部に入学できました」
苦難はまだ続く。今度は下宿探しが難航した。
「静岡から上京した母と不動産業者を回りましたが、僕が全盲とわかると、ほとんどの不動産業者から部屋を貸すことを拒まれて。それまで僕の目のことを悲観するような姿を一切、見せなかった母ですが、このときだけは違いました」
やはり、部屋を貸すことを断られた不動産会社からの帰り道。母は涙ながらに息子に言った。
「誠、ごめんね。アパート借りてあげられなくて……」
誠さんはこのとき、弁護士への思いを、さらに強くしたという。
「自分の子どもに障害があることで、その母親が泣きながら謝らなければならないなんて、そんな社会は間違ってる。社会を変えるためにも、僕は弁護士になる」
なんとか部屋も決まり、大学に通い始めた誠さん。ときに理不尽な扱いを受けながら、それでも充実した大学生活を送ったが、難関の司法試験が一筋縄でいくはずもない。大学4年、初受験の結果は「惨憺たるものだった」という。
大学卒業後は司法試験専門の予備校に通って勉強したいと考えた。しかし、大学受験のときと同じように、多くの予備校が全盲の彼の受け入れを渋った。ハンディキャップを改めて突きつけられる思いだったが、1校だけ、誠さんを受け入れてくれる予備校が見つかる。
「うれしいことにその予備校は『どんな人もサポートします』と言ってくれたんです。問題集など全教材を電子データで提供してくれたのも、ありがたかったです」
電子データであれば、誠さんはパソコンの読み上げソフトを使って、内容を音声で聞いて覚えることができるのだ。こうして、誠さんは猛勉強を重ね、3回、4回と挑戦を続けた。
「何度もくじけそうになりました。この先もずっと受からないのでは、という不安にも苛まれました」
それでも’06年、5回目の受験で誠さんは、ついに司法試験合格を果たす。その喜びを真っ先に伝えたくて、誠さんが電話した相手は、当時すでに交際していた亜矢子さんだった。携帯電話を握りしめる彼の頰を温かな涙がつたっていた。