■フランス人の青年に教えられてDJスクールに。フジロックから打診があるほどの腕に
あるとき、ムロで働いていた台湾人の女のコから相談があった。彼女がフランス留学中に知り合ったフランス人の男のコが、日本で住むところを探している、と。
「だったら、うちの部屋が空いているから、住めば?」
気軽に言ったひとことが大きな転機となった。
「それがアドリアン。彼はまだ21歳で、モデルもやっていたほどハンサムで。ワーキングホリデーで日本にきて、ムロでもちょっと働いたんです。アドリアンとの出会いで、私の人生が変わりました」
純子さんの家に半年間下宿しながら、アドリアンさんはイベンターとして仕事の幅を広げていった。
「あるとき『DJイベントをやりたい。日曜にムロを貸して』というので、私も椅子を運び出したりして手伝いましたよ。古い建物ですから、床が抜けるんじゃないかと思ったり。そのうち、あまりの大音量でおまわりさんまできて(笑)。まあ、アドリアンというのは面白いコなんです」
ムロでのイベントで初めてDJ音楽に触れたものの、ジャズで育った純子さんにはピンとこない。
「DJなんてまったく興味なかったですよ。変わった音楽やってるなっていう感じでした」
アドリアンさんが家を出た後も交流は続いた。彼が立ち上げたイベント企画会社「東京デカダンス」が主催する原宿や渋谷のDJイベントには、お付き合いで出かけていった。
ゴシック教会をイメージして作られた「キリストンカフェ」でのイベントに行ったときのこと。DJブースにいたアドリアンさんが気軽な感じでこう声をかけた。
「スミコもやってみる?」
このとき純子さん、77歳。
「で、私もなんとなくターンテーブルを回したら、ハマったんです。最初はうるさかった電子音も心地よく感じるようになっていて。なんだろう。やっぱり自分の音楽にお客さんがノッてくるのがわかるんです。すぐに反応が返ってくるのが心地よくて……」
純子さんの胸が熱くなる。
「これって、餃子屋で、お客さんがおいしい笑顔になるのと同じだ!」
その日にDJスクールがあると聞き、すぐに通い始めた。
「DJの学校で教わったのは、AとBの曲をつなげるときに、リズムを合わせるビートマッチ。これができなくて。いまではパソコンでピッと、ボタン1つで合う装置が付いているんですけどね(苦笑)」
同じ年にDJデビュー。DJネームは本名・岩室純子の「純」と「岩」で「DJ SumiRock」だ。デカバーSでのDJは、月1〜2回。8年前にはパリ、ノルマンディーと、フランスでも回している。
「その4日前に、ステージから落ちて、頭を8針縫ったんだけど、頑張って行きました。アドリアンの故郷での公演もあったから」
FUJI ROCK FESTIVALからもオファーがあったが、アドリアンさんのお誕生日会翌日という日程だったため、辞退している。
「いつも彼のパーティは徹夜になるから無理だと思って。みんなはもったいないって言うけど」
大舞台より優先したのは、アドリアンさん。純子さんは、いつしか彼の東京のお母さん的存在になっていた。
「アドリアンはいまも日本にいて、日曜にはご飯に誘ってくれます。親孝行のつもりかな」