【御巣鷹山から37年】「なぜ、救助は翌朝に?」天国の夫に誓う墜落の真相究明
画像を見る 日航123便墜落事故で夫を亡くした吉備素子さん(撮影:加藤順子)

 

■抗議に出向いた日航の本社で、当時の社長はブルブルと震えだした

 

翌日には、傘だけすっぽり抜け落ちたカバンが、ほかはあの朝、詰めたのと同じ状態で見つかった。そして19日、右手とズボンとカバンだけ荼毘に付すことに。

 

「知人が般若心経を写経した着物を届けてくれて。でも、頭も体もありませんから、日本赤十字社の看護師さんが新聞紙で主人の全身をかたどって、顔の部分も包帯で巻いてくれたんです」

 

その夜は、夫の骨壺を「肌身離さず抱いて」明かした。

 

「亡くなったことは受け入れなければいけない。でも、わかってはいるけど、空虚な感じでした……」

 

残りの遺体確認を続けるなか、10月には、再検査を依頼していた右足が勝手に荼毘に付されてしまっていたことが発覚する。

 

「『話が違う』と抗議しました。さらに『政府が部分遺体すべてを10月中に荼毘に付す予定だ』と聞き、日航の社長に会いに行ったんです」

 

一遺族に一人ついた「世話役」の社員が帯同し、本社に高木養根社長(当時)を訪ねると。

 

「彼は墜落現場に行かず、黒焦げの遺体も見ていないことがわかった。私は『あのような状態で荼毘に付しては浮かばれない。520人の命を持って中曽根(康弘)首相に直訴しましょう』と言いました」

 

すると高木社長は「ブルブルと震えだした」というのだ。

 

「そして『そんなことしたら私は殺される』と怯えているんです。『なぜだ?』と疑問に思いました」

 

その後、部分遺体を荼毘に付すのは延期され、雅男さんの背中の一部と右足首も見つかった。

 

12月の合同葬の前日、吉備さんは身元不明の残りの部分遺体すべてに、両手をさしのべている。

 

「2時間くらいかけて『捜し当てることができずに、ごめんなさい』とお詫びしていました」

 

(取材・文:鈴木利宗)

 

【後編】【御巣鷹山から37年】遺族の闘い「裁判に勝って、すべての真実を明らかに」へ続く

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