■月~金は診療所の副所長、週末は東京へと慌ただしくも充実した日々
一方、香山さんが応募の段階で心配していたのは、東京で続けなければいけない業務を、どこまで認めてもらえるかだった。
「立教大学は定年まであと3年で途中退職し、非常勤講師になったので、残るゼミ生などへの指導はオンラインでも対応できます。
でも精神科の診察は、長い患者さんなどを放ってやめるわけにはいきませんでしたから」
同診療所の夏目寿彦所長(58)は、採用時のことをこう振り返る。
「僕はむしろ、それまでの東京での業務を『継続してほしい』と思っていました。僕も週末には札幌(自宅)で休養しますし(両医師不在の土日は出張医が対応)、リフレッシュのために、東京の空気も吸ってほしかったんです」
4月から始まった「副所長」の勤務は、月~金が診療所での診察。
香山さんが説明する。
「9時から所長と私で外来を診察し、午後は一人が外来対応、一人が介護施設や学校などの健診にまわります。狭い町の特徴を逆に生かし、地域包括ケアの一環としての医療を目指しているんです」
週2度、朝7時半から地域医療の医師約300人のオンライン会議に出席。当直は週2回、金曜の夕刻には業務終了とともに、東京へ。
東京では精神科の診察に雑務もこなして日曜夕刻に北海道に戻るという慌ただしいサイクルだ。
■中村哲氏の死に衝撃を受けて。「僻地医療こそ私が手伝える場所」と肝に銘じて
数年前、香山さんには大きな転機があった。
「’19年7月、母が87歳で亡くなりました。晩年には『あなたのやりたいことをやるのがいちばんよ。楽しみなさい』と言っていたのが印象的でした……」
その年末には、アフガニスタンで30年以上、医療、治水などの総合的な支援に尽力した中村哲さん(享年73)が凶弾に倒れるという悲報に衝撃を受けた。
「医師の偉大な先輩として尊敬していました。こんな方が非業の死を遂げ、私のような人間が、のうのうと生きていていいのかと」
「ある講演会で中村さんは、国際貢献したいという学生に『いまいるところにあなたを必要としている人はいます』と『一隅を照らす』という言葉で答えられました。
私は『深刻な医師不足に困っている僻地医療こそ、私が手伝える場所だ』と肝に銘じたんです」
《本日の担当医=中塚医師》
入口にこう掲げられた診察室で、香山さんがカルテに入力しながら、女性患者の言葉に耳を傾けていた。
「先日の人間ドックで、胃にすこし炎症があると言われまして」
「う~ん、〇〇(薬名)の量が多いのかもしれないですね……めまいや立ちくらみはしないですか? 息切れもないですよね?」
患者のほうをのぞき込み、細かく、ていねいに状況を聞き出す。
「ひとつの考えとして一度、薬をやめてみましょうか。すこし様子をみてみましょうね……」