■長いカウンセリングのキャリアが、僻地のお年寄りに寄り添う、ケアに役立って
夏目所長は穂別での香山さんの診療ぶりをこう評する。
「高齢者が多い穂別では『寄り添う治療』が大事です。中塚先生は精神科医の経験を生かし、患者さんが何に苦痛を感じて困っているのかを自然に聞き出している」
香山さんの長いカウンセリングのキャリアは、僻地でのお年寄りのケアに役立っているのだ。
そして彼女自身、穂別での人とのつながりを、楽しんでいる様子でもある。
「東京との往復生活と聞いただけで、高齢の患者さんは『大変なところ、ありがとうございます』と言ってくれます。私は総合診療のキャリアはまだまだで、薬によっては調べ調べ、処方箋を書くんですが、なんにも文句を言わず、おだやかに待ってくださるんです。
『地域医療に貢献するために』と穂別に来たのに、スタッフや住民の方に助けられてばかりです」
目尻に皺を寄せ、はにかむように香山さんは言った。
「いないよりはまし。そんな感覚もいいかな」。
60代を迎えての挑戦は周りの人に支えられて
「穂別には農家の方が多いので、野菜を持ってきてくれたり、塩蔵して冬越しする知恵を教えてくれたりもします。
ここでは通販に頼ったりせず、住民の方がお互いにやりくりしたり、そんななかに私も入らせてもらっている気になってきますね」
■町のシンボルとなったむかわ竜の全身復刻骨格が展示されている穂別博物館でほっと一息
そんな香山さんがホッとできる空間が、穂別にはもうひとつある。
いまや町のシンボルとなった、全長8mのむかわ竜(カムイサウルス・ジャポニクス)の全身復元骨格が展示されている穂別博物館である。
「私はもともと、10代のころから考古学や生物学が大好きでした。
’18年の胆振東部地震の被害で遅れている博物館の改修にも、ぜひ協力したいんですーー」
50代の最後に母をみとり、「人生で一回くらいは、人の役に立ちたい」と一念発起しての“北帰行”のはずだった。
それが「まだまだできないこと、知らないことがある」と気づかされ、診療所のスタッフや、町の人々に「理解され、助けられている」ことを思い知ったのだ。
「まだ私自身は、穂別でぜんぜん役に立っている気はしないけれど、『いないよりはまし』。そんな感覚もいいかなと」
午前診療を終えた香山さんは、白衣からスカイブルーのカーディガンに着替え、職員食堂へ。
この昼の献立は、サバの塩焼きに、切干大根の炒め煮など。
「昼食では、入院患者さんと同じメニューを毎日いただいています」
こんなふうに週の大半を穂別で、本名「中塚尚子」で過ごし、週末は東京で精神科医としての診療や、「香山リカ」の業務をこなす。
「いつ急患が入るかわからない」穂別では、お酒は飲めないという。
だから、搭乗前の新千歳空港のラウンジでは、サッポロビールで、自分にささやかな「カンパイ!」。
60歳を迎えての決意。
香山さんの挑戦は周りの人々に支えられ、せわしなくも、ゆるりと進んでいる。
(取材・文:鈴木利宗)