■森さんの発言の「わきまえる」というのは「出すぎたことをするな」という意味
最近も、女性の尊厳をめぐって社会的議論が巻き起こった。きっかけは、’21年2月の東京五輪・パラリンピック組織委員会での森喜朗会長(当時)の、女性に対する、いわゆる「わきまえる」発言だった。
「わきまえるとは、森さんの発言をもっと簡単に翻訳すれば、「出すぎたことをするな」ですよ。
その会議に同席していた女性たちは笑っていたということですが、私自身、そういう男社会の中でキャリアを積んできて、同様の体験をしている。そういう発言を、私たちは愛想笑いで聞き流してきた世代なんですね。
特に政治の世界では、男性たちが一生懸命に作ってきた世界がある。私は「ボーイズクラブ」と呼ぶんですが、その牙城があって、それが今の現状なわけです。
’21年秋の衆議院選挙でも、当選した女性の比率は9.7%で1割を切っていた。ですから、女性が個人として立候補して議員になるという図式は、簡単には成立しないわけですよ」
■政治と市民の生活が乖離しちゃっているから、宗教団体が入り込んでくる
「人が個として評価される社会を考えたとき、やっぱり違和感を持つのは、あの「女性が輝く社会」のフレーズです。それって、輝かないと存在価値がないみたいじゃないですか。「一億総活躍社会」もそう。十把ひとからげにして、みんな同じになろうねで、個人の価値観を認めようとしないところに、私はすごく腹が立っているわけです。
夫婦別姓も、これは選択的ですよ。そうする自由が欲しいと言っているだけなんです。私自身、仕事は別姓でやっています。
これも、自民党の議論のなかではイエの問題として出てくるんです。別姓では「イエが壊れる」。今までの価値観、家庭というものの姿が壊れる、と。だって、もう壊れていないかと。いつまでも、パパとママがいて子供が2人というのが標準家庭じゃないですよ」
安藤さんは言う。「私たち有権者も、意識変革すべきときがきている」と。たとえば昨今の旧統一教会問題の解決を、政治家だけに委ねていていいのだろうか。
「政治と市民の生活が乖離しちゃっているから、こんなかたちで宗教団体が入り込んで、選挙でボランティアしたり、いっぱいポスターを張ったりしているわけです。
ノルウェーでは、選挙のときに「選挙小屋」が現れます。町中に各政党がカフェのようなちっちゃなテントを作って、そこでドーナツを食べながら公約のチラシを読んだり、立候補者と気軽に対話できる。
普通の生活のなかに政治が入り込んでいる「場」を作らないと、いつまでも特別な人がやる特別な職業でしかなくなり、政治家はどんどん偉そうになる。
女性が選挙に出て、なおかつ議員として活動するためには、議員を選ぶ私たち有権者の側の意識が変わらないとダメなんだと思います」