最後の“銀座の花売り娘”81歳。作家・伊集院静さんとの路上での“対決”
画像を見る この街が好きなのよ。元気なうちはずっと続ける」と木村さん

 

■かつての銀座は1万円札が飛び交って。チップも1万円だったのがいまは千円が当たり前

 

当時の銀座は、いわゆるバブル景気の直前である。

 

「万札が飛び交っていたわよ。石原裕次郎は、そのころたくさんいた花売りみんなの花を全部買ってくれた。脚が長くてカッコよかったわねえ」

 

さらにバブルの時代、銀座で飲むときは、店のママやホステスに花を買っていくのが男たちの慣習になっていたという。

 

「会社の先輩から、そう教えられたっていうからね。みんな1万円札で花束を買っていった。いちばん多く稼いでいたときは、月50万円くらいの収入になったわよ」

 

そんなころ、東京農大を卒業して竹中工務店に就職した長女から「花売りなんて恥ずかしいからやめてよ」といわれた。

 

「私のことを『花売りババア!』なんていうのよ。だから『花を売ったお金で大学に行けたんだろ。そんなに嫌なら出ていけ』って。出ていかなかったけど(笑)」

 

銀座で木村さんの2回目の取材をしていた11月中旬である。木村さんのなじみ客である清武徹さんが花椿通りに姿を見せた。一般社団法人の会長のほか14社を経営している清武さんは、数日前の深夜も花をたくさん買ってくれている。

 

「僕は40年前から銀座で飲んでいるけど、昔の銀座は、“銀座村”という感じだったね。京都でいうなら祇園のようなところで、財布を持つ必要がなかった。締め日に請求書が届くだけ。調子に乗って、バブルのころは月1億円の請求がきたよ(笑)」

 

清武さんによれば、バブルのころは、店のホステスの管理などをする「黒服」や、車の手配や客の荷物持ちをする「ポーター」といった銀座の裏方たちへのチップは、1万円が相場だった。それがいまでは3千円や1千円が当たり前になっている。

 

「昔の銀座は粋だったよ。いまはキャバクラやパチンコもできて、もうぐちゃぐちゃ。このごろでは客筋も全然違うね。銀座が銀座でなくなった。いつからここは戸越銀座になったんだって(笑)」

 

花があまり売れなくなった木村さんと会うと、清武さんはこんな言葉をかける。

 

「とりあえず10時半か11時までがんばれ。それでも売れ残っていたら、俺が全部買うから」

 

銀座のそんな人情にも木村さんは支えられているのだろう。10年前に初めて木村さんから花を買ったという上場会社役員の赤城蘭丸さん(仮名)も、そんな一人だ。

 

「ちょうど家に花を飾りたい時期だったんですよ。車で銀座を通ったら、寒いなかで木村さんが花を売っていた。年齢を聞いたら2年前に亡くなった僕の母親と同じ年で、花が売り切れるまで帰れないと聞いて、全部買ったんです。母に親孝行できなかった分、お役に立ちたいと思ったんですね。それ以来、飲みにいって、たまたま会えば花を買うし、先日も『困ったことがあれば連絡くださいね』と。やっぱり亡くなった母と重ねているんですよね。でも木村さんはいまも本当にお元気で、心身ともに並み大抵ではないです」

 

木村さんには、以前から花を買ってくれている直木賞作家の伊集院静さんとも、数年前にちょっとおかしなエピソードがある。

 

「あるとき『あ、伊集院さん』と声をかけたら、黙って花を受け取らずに5千円だけ置いていったのよ。それが3回くらい続いたからさ、まるで私がタカリ屋みたいでしょ。だから伊集院さんの顔を見てもそっぽを向いてたの」

 

すると伊集院さんの仲間に理由を尋ねられ、「花を持っていかないなんて気分が悪いから」と答えた。

 

「そうしたら、伊集院さんが『全部でいくら?』と声をかけてきたの。『7千円』っていったら、1万円を出して花をちゃんと持っていった。そういうのならいいのよね」

 

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