■息子にはいつも周囲に感謝を持ち、社会に出たら、人のためになる仕事をしてほしい
レノ君は父親の実家で暮らすこととなったが、その後も、年賀状やメールでレノ君の健やかな成長ぶりを綴っていた影山さんが、初めて自分の体調にふれたのは’18年のこと。彼女は70代後半を迎えていた。
〈私のほうは1年ごとに病気も一つずつ増えて、ひどい神経痛にも悩まされ、要支援2、視覚障害2級となりました。かつて打ち続けていたホルモン剤の影響もあるでしょう。普通の人以上に、60歳出産で体に負担をかけ、急に油切れした状態でしょうか〉
60歳での出産直後から、骨粗しょう症予防のカルシウム補給や、更年期障害と同様の症状を予防するための低用量ピルを飲み続けてきた影山さんだったが、それらの投薬をやめたのを境に体調が一気に悪化したのだった。
「めまいや貧血、自律神経の乱れなど、止めていた分、いまさら更年期障害に苦しんだのでした」
そんな影山さんを、「まだ元気でいなければ」と踏ん張らせたのは、主治医と交わした「子供を成人させるまで元気でいる」という約束だった。
幼稚園と小学校を中東の父の国で終え、日本で暮らすようになったレノ君だが、昨年の年明け、とうとうその日がやってきた。
「レノは、地元の成人式の式典に参加しました。このときばかりは、中東から父親も駆けつけました」
影山さんは、成人した息子に、母親として、どうしても伝えたいことがあった。
「おまえが生まれるまでに、どれだけ多くの人の世話になり、見守られてきたか。日米のお医者さん、看護師さん、ドナーの方、鷲見さんなどなど。だから、いつも周囲に感謝して生きなさい。いずれ社会に出たら、今度は、おまえも人のためになる仕事をしてほしいと、母さんは願っています」
母親の言葉を聞いたレノ君の返事は、
「感動的な言葉を期待されてるでしょうが、特にありません。ごく普通の、イマドキの20歳の男のコなんです(笑)。
ただ最近、初めて自分から言い出して、近所のコンビニでアルバイトを始めたんです。日本語を上手になるためと、日常の生活マナーを身につけたいと言ってましたから、本人なりに将来について考えているのだと思います」