■きんさんぎんさんではないけれど、仕事はやれるまでやろう!と4人は破顔して
コロナ禍では一時期仕事の受注が激減し、廃業も脳裏をよぎったというが、その後V字回復。もっと深刻に家業を畳むべきかと思い詰めたのは’00年の東海豪雨だった。再び縫製工場で話を聞いた。
忠義さんが腰のあたりを示して
「もうここまで水位が上がってきて、ほとんどの商売道具とミシンはやられてしまって。高額なミシンだけ息子たちが機転を利かせて高い位置に移動させたけど、もうがっくりしてしまってね」
そんなときは子供たちの励ましも背中を押した。
「お父さんたち、お母さんたちが4人で守ってきた工場。これからも続けて、って」
何よりも“4人で一家”の象徴であるこの縫製工場を投げ出すわけにはいかなかった。
「やめなくてよかったね。仕事はいまや脳トレにもなってるしね」
喜久子さんが明るい声を出すと、
「指先を使うからね」
孝晴さんがうなずく。
食と運動が充実しているから、このまま100歳を目指せますね、と記者が声をかけると、
「きんさんぎんさんじゃないけれど、それはどうかな」と忠義さん。
「それは無理でしょう」と孝晴さんがつぶやく。
あとの3人が破顔する。
「仕事はやれるまでやろう!」
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