■コロナ禍もひと息つき、3月から路上ライブを。「日本全国をヒッチハイクで回ろうや!」
「最初のバトル出演のとき、祖母は、僕に『任せる』と言ったのに、いざ音楽が始まったら、もう8小節も何も関係なくしゃべり続ける(笑)。
バトルに強いでこ八誕生、の瞬間でした」
玄武は高校卒業後、音楽専門学校のエンジニアコースに通学中。
「ラップは続けながら、将来は学校で学んだ裏方の技術も生かして音楽スタジオもやってみたい。ただ、今は、赤ちゃん婆ちゃんに全力投球。
祖母も、始めるときに、『やるなら、ガッツリやっていこう』と言ってくれたので」
実際、でこ八は、孫とのコンビに、後半の人生を懸けている。
「実は、こないだもシニアのイベントに呼ばれて、『1人で来て、老後を元気に過ごす秘訣を話してください』と言うから、きっぱり断りました。そやかて、わたし1人の仕事が増えたら、赤ちゃん婆ちゃんがしぼむでしょう。それでは、せっかく孫と始めた意味がないんですわ」
対して、玄武も。
「僕は、ユニットを組むまで、祖母が昔、漫才師だったことも知りませんでした。取材などで話すのを初めて聞いて、だから、あのトーク力なんだと。これまでの人生の積み重ねが、今のでこ八を作ったんだと知るんです」
コロナ禍もひと息つき、この3月から、2人は新たなチャレンジを計画中。
「路上ライブをやろうかと。まずは地元で」
玄武の言葉に、でこ八が、
「なんで地元? どうせやるなら、関西にこだわらず日本全国回ろうや。ヒッチハイクでもなんでもするくらいの根性がないとあかん」
さすが漫才師時代に路上も体験しているでこ八と感心していると、玄武から思いがけないツッコミが、
「ええっ、取材と思ってかっこいいこと言ってる(笑)。最初は、『なんで、70過ぎて路上やねん』って文句ダラダラだったくせに」
「いや、玄武、それ言う? ばあちゃんの本心は、最初からヒッチハイクやん(笑)」
ケ・セラ・セラの精神と、肉親ならではの絶妙の間合いでラップ界に殴り込みをかける、赤ちゃん婆ちゃんの今後に、乞うご期待。