■体力には自信があったし「用心するのは40歳から」だと思っていた38歳のとき、がんに
秋吉さんが結婚したのは30歳のとき。お相手は、1歳上の敬介さん(46)。出会いから挙式まで1年足らずのスピード婚。そして、31歳から2年ごとに、長男・龍青くん(14)、次男・帝駕くん(12)、三男・剛宗くん(10)と3人の子宝にも恵まれた。
体力には自信があった。もちろん女性だから、乳がんという病いは気にはなったが「用心するのは40歳から」、そう思っていた。なにより、子育てと並行して仕事も続けていて「忙しくて、気が回らなかった」。ところが……。それは38歳の夏のこと。
「スキルス性の胃がん、ステージ4です」
胃痛で病院を受診した秋吉さん。医師から告げられた検査結果に、言葉をなくした。
「がんのあなたに責任ある仕事は任せられない」の言葉に奮起、42歳で女子短大に入学
「とっさに口を突いて出たのは『困ります』でした。忙しい職場は人手が足りなくて。自分の病気のことをすぐには呑み込めないなか、いま、私が休むわけにはいかない、その思いが先に立ったんです」
当時、秋吉さんは介護施設の調理師として働いていた。わずかなスタッフで毎日、180人の高齢者の食事を用意していた。いっぽう、プライベートでは次男の食物アレルギーを就学までに治してあげたいと、家族の食事にも気を揉んでいた。さらに、夫の父親が急な病いに倒れ入院。連日、体の弱い義母を連れ、見舞いにも通った。そんななか、胃痛に襲われて「ストレスで胃潰瘍になった」と思い込んでいたのだ。
急逝した義父の四十九日の法要を済ませ、近所の病院で胃カメラの検査を受けた秋吉さん。結果、医師が告げたのが前述の「ステージ4の胃がん」。同時に乳がんも見つかった。医師からは「明日にでも胃の全摘出手術を」と促された。
「最初は先生の言葉の意味が、本当にわからなかった。『私ががん? 噓よ、こんなに元気なのに』って」
秋吉さんは、セカンドオピニオンを求め、福岡県の国立病院機構九州がんセンターで、改めて精密検査に臨む。結果は同じだったが、がんセンターの医師は手術ではなく「ホルモン療法」を勧めてくれた。
「私のケースは、まず乳がんが先で、それが胃に転移したものでした。それで、いまもお世話になっているがんセンターの先生は『乳がんの餌となっている女性ホルモンを抑える治療をしましょう』と」
1カ月に及んだ検査入院。秋吉さんは「がん」という病いと、忍び寄る「死」を、強く実感することに。
「隣のベッドの人が亡くなったんです、膵臓がんで。私はスマホでがんのこと、ググったりして。普通に『やばい!』と思いましたよ。それで、イヤホンして、大好きなK-POPのBIGBANGの曲を大音量で聴きながら『隣の人は隣の人、私は大丈夫』と自分に言い聞かせてた」
入院中のある日。売店で見つけたあるものに、秋吉さんはすがる思いで、手を伸ばしていた。
「それは『死ぬまでにしたい100のこと』というノートでした。自分でも書いてみようと、すぐ買いました。ただ死を待つんじゃなくて、やりたいこと、いまからできることを探したいと思ったんです」
秋吉さんが「これです」と差し出したノート。ページをめくると、そこには「USJに家族でいきたい」「北海道にいきたい」といった具体的な“したいこと”と併せて「死ぬときは、そばにいてほしい」という切ない“夢”も綴られていた。さらに、幼い息子たちの行く末を案じて書いたであろう「子供たちを20才まで育てたい」「子供たちの結婚をみとどけたい」「まごをみたい」、そして、3人の息子の名の後に「私の背をいつ、おいぬく?」という書き込みも。
「BIGBANGを聴きながら、病気に負けてたまるかって、もう、一心不乱に書きました」