■「がん患者に責任ある仕事はまkじゃせられない」の言葉に一念発起、42歳にして女子短大を受験・入学
退院後、治療を受けながら、秋吉さんは仕事に復帰。ホルモン療法が奏功し、容体は安定。がんは少しずつ小さくなってもいた。
「最初は仕事量も減らしてもらってましたが、意外に私が元気なので、だんだんとペースは戻っていって、気づけば以前と変わらぬ仕事をこなすように。ちょうどそのころ、責任者のポストが空いて。実績的には私が後任でもおかしくなかったのですが……」
結果的には、別の同僚が出世することに。会社からは「がんのあなたに責任ある仕事は任せられない」と説明された。
「悔しかった。私、がんを告知されても一度も泣かなかったのに。そのとき初めて、家に帰って大泣きしました。『こんなふうにして、私の人生、終わるのかな』って」
それは、これまで必死に蓋をしてきた不安や恐怖といった後ろ向きの感情が、一気に涙となってあふれ出てきたかのようだった。
しかし、彼女はひとしきり泣くと、ここでふたたび立ち上がる。なんと秋吉さんは2020年、42歳にして佐賀女子短期大学を受験し、入学を果たすのだ。
「栄養士の資格を取ろうと思ったんです。自分の病気、それに息子のアレルギーのこともあって、食の大切さを痛感したので。もう一度、学び直したいと考えました」
思えば、「100のこと」にも「栄養士をとりたい」「短大に上がりたい」と記していた。そして、2年後の昨年3月、秋吉さんは短大を無事卒業。栄養士の資格も取得した。
しかし、達成感に浸ったのも束の間、4月になると体調が急変。がんが大腸にも転移したのだ。
「栄養士として働き始めた矢先でしたから、最初にがんが見つかったときよりもショックでした。新たに飲み始めたがんの進行を遅らせる薬は1錠およそ5千円と、たいへん高価で。そのうえ副作用の強い下痢にも苦しみ、10kg以上体重も落ちました。やがて腸閉塞も併発して、激痛で意識をなくしそうになって、病院に担ぎ込まれることになったんです」
そして昨年7月。主治医は秋吉さんにこう告げた。
「このような状態が続けば、余命は2カ月ほどかもしれません」