■「どうせ死ぬんやったら」自分の“店”キッチンカーのハンドルを握ることを決意
余命宣告を受け、心が折れそうになりながら、秋吉さんはまたも前を向いた。あの「100のこと」のいちばん最初に書いた夢が「自分の店を持ちたい」だった。「どうせ死ぬんやったら」と、ユキチャンキッチンの開業を決意したのだ。主治医も「がん患者だから店を持てないということはない」と理解を示してくれた。そして夫・敬介さんも。
「夫にはキッチンカーのリース契約とか決めてから事後報告。でも、私の説明を聞いたら『よかっちゃなか〜』って。佐賀弁で『いいんじゃないの』ってことです。あの人は、いっつもそんな感じで(笑)」
昨年9月。宣告どおりなら、到底握れるはずのないキッチンカーのハンドルを、秋吉さんは確かに握っていた。やがて、病いを押して頑張る秋吉さんの存在は、徐々に地域の人々に浸透。とくに中原は夫が生まれ育った町。敬介さんの旧友たちなど、手を差し伸べてくれる人が大勢、現れた。
「駅前のスーパーマーケットの社長さんもそう。キッチンカーの営業中に直々に来られて、『うちの駐車場に出店しませんか』と。いま、スーパーの店舗は休業中ですが、ケータリングや、介護施設などへの出張販売は続けているそうで、『うちのケータリング先にも、キッチンカーで一緒に行きませんか』とまで言ってくださって」
聞けば、秋吉さんの息子たち同様、その社長も3兄弟、彼はその長男だという。
「そのうえ、お母さんを高校時代に亡くされていた。思春期だったからか、社長は『照れくさくて母親の手伝いなどろくにできなかった』と。そのことをひどく後悔しているようで、私のことを『だから応援させてほしいんだ』と」
秋吉さんは、今日もキッチンカーを走らせる。
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