とどめをさしたのが学会発表のスライド作りだった。
「晨伍は、〈2月、3月に続けて5月も担当にさせられた。気がかりで眠れない〉〈提出期限の前にも当直が入っているから絶対無理や。重たすぎる、重たすぎる〉と呪文のように唱えて。先輩医師にスライドを見せても批判ばかりで、〈(できないなら)白紙で出せ〉と言われたと聞いています」
晨伍さんが自死する4日前には、こんな出来事もあった。
「『明日、気分転換に近所の海鮮料理屋に行ってみよう』と、晨伍にメールを送ったら、〈(忙しいから)100%ムリ!〉とすぐに返信があったあと、病院のトイレから泣きながら〈吐き気が止まらない。絶対に行くのはムリ!〉と常軌を逸した様子で電話がかかってきて……」
晨伍さんが自ら命を絶つ5月17日(火)の13時ごろ、淳子さんの元に晨伍さんからこんなメールが。
〈先に謝っておくけど、朝に変な気を起こしかけたけど、大丈夫。起こさんようにするから安心して〉
意味深な内容に胸騒ぎを覚えた淳子さんだが、何度電話してもつながらなかった。慌てて夜の高速を飛ばして下宿先に駆けつけると、玄関に靴があるのに電気は消えたまま。ウオークインクローゼットをのぞくと、変わり果てた晨伍さんの姿があったという。
「なんで! しんご、なんで! と絶叫しながら心臓マッサージをしつつ通報したんですが……」
死亡推定時刻は18時。晨伍さんは、この日、出勤前にも自殺未遂を図っており、首に赤い痕が付いていたのを、同科の医師が目撃していたという。
「晨伍が亡くなったあと、具院長がすぐに電話をかけてきて、〈高島君は別格に優秀だったので、みんな嘱望して彼を鍛えていたんです〉とおっしゃった。私、“鍛えていた”という言葉にとても違和感を覚えて不穏な気持ちになったんです」