涙ながらに会見に臨む母・淳子さん(写真:共同通信) 画像を見る

「私にとって晨伍(しんご)は、泣いて笑って大切に育てた、かけがえのない宝物でした」

 

そう苦渋をにじませるのは高島淳子さん(60)。

 

淳子さんの次男・晨伍さんは、’20年春から研修医として甲南医療センター(神戸市・以下センター)に勤務。’22年4月からは、より専門を深める“専攻医”として消化器内科で勤務していたが、同年5月17日、下宿先で自死しているところを母・淳子さんが発見した。

 

西宮労働基準監督署は、「極度の長時間労働による過労自殺」として’23年6月5日労災認定した。

 

晨伍さんは、自死までの3カ月間、100日連続勤務し、直前1カ月の時間外労働は、過労死ラインの2倍超の207時間にも及んでいた。

 

《おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど限界です……》

 

晨伍さんの遺書には、そんな悲痛な心境が記されている。

 

しかし、労災認定の報道を受けて、8月17日記者会見を開いたセンターの具英成(ぐえいせい)院長の発言は、遺族の心情を再び深く傷つけた。

 

「本人が申請していた時間外労働は月30.5時間。医師の仕事は自由度が高く、(スキルを高めるための)“自己研鑽”の時間と業務の時間を切り分けることはむずかしい。過重労働させたという認識はない」

 

そのうえ、第三者委員会の調査結果すら開示されていないという。

 

このままでは息子の死はムダになるーー。そう考えた淳子さんらは、病院側を刑事告訴。病院の記者会見の翌8月18日、大阪で記者会見を開き、自死までの経緯公開に踏み切った。

 

自死に至るまでの3カ月間、晨伍さんに何があったのかーー。

 

「晨伍は昨年2月頃から、〈休みがない。毎日5時半に起きて23時に帰る。バスもないからタクシーなんやで〉〈やることが多すぎて早く行かないと通常業務が回らない〉と、私にこぼしていました。でも、具院長は、〈コロナ禍での減収や、病院の改修費用のことも考慮して法外な残業申請をしないように〉と言及したと申していました」

 

不運にも、消化器内科には晨伍さんの同期がいなかった。

 

「だから気軽に相談できる相手もおらず、他の専攻医や先輩医師らは晨伍に目配りできる余裕もないほど忙殺されていたんでしょう」

 

5月に入ってから、晨伍さんの精神状態は、ますます悪化。

 

「下宿に様子を見に行くと、冷蔵庫にはゼリー飲料しかなく、郵便ポストもぱんぱん。初期研修医の頃は、好きな音楽を聴いたり野球観戦したりしていましたが、それもなくなり、表情は能面のようでした。そうかと思うと、〈日曜日が2回ないと通常業務が回らない。誰か助けてくれ〉〈明日になればすべて終わってほしい〉などと言って、涙を流すこともありました」

 

親には決して泣き言を言わず、仕事に対して誠実に向き合っていた息子の豹変ぶりに驚いた淳子さんは、何度も、休職して実家へ戻るよう説得したが〈休職などしたら二度と戻れない〉と考える余裕すらない様子だったという。

 

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