■「葬儀社、やっから」。妻の一言で脱サラが決まった
「私は生まれも育ちも、ここなんです。じつはここ、もとは私の母の実家だったんですよ」
いわき市の好間地区にある葬儀社の事務所で取材を始めると、きみ子さんはこう言ってほほ笑んだ。きみ子さんは1961年に生まれた。地元の高校を卒業後、バス会社に就職し、バスガイドになった。
「5年間、双葉郡浪江町の営業所に、寮生活しながら勤めました。その間だけです、地元を離れたのは。その後、女性司会者を養成したい地元の結婚式場に『バスガイドなら人前で話すの、得意だろ』と誘われ、転職したんです」
転職先で知り合ったのが、最初の夫。きみ子さんは23歳のときに結婚し、男の子3人をもうけた。しかし、その結婚生活は10年で幕を閉じ、33歳で離婚。
「ずっと専業主婦でしたが、前の夫が『もう、結婚式場が繁盛する時代じゃない』とよく話していたんです。『この先は葬祭場の時代だ』とも。それを覚えていたので離婚後、葬儀社に職を求めたんです」
そこで出会ったのが、やはりバツイチだった充さんだった。やがて二人は再婚。このとき、きみ子さん38歳、充さん45歳。
再婚後、充さんが葬儀社でのキャリアを重ねるいっぽう、きみ子さんは退職し、高齢者施設で調理の仕事を見つけ働いていた。そんなある日、きみ子さんは葬儀社時代から顔なじみの写真館の店主に、こんな話を聞かされる。
「ご主人、中間管理職だろ。なんか、大変そうだ、上司と部下の板挟みで、いつも疲れた顔してるぞ」
夫の身を案じたきみ子さん。ちょうど同じころ、ニュース番組が報じたある事件に目を止めた。
「お金がなくて葬儀代が出せないばっかりに、亡くなった妻の遺体を庭に埋めた男性が、死体遺棄の容疑で逮捕された事件でした。それを見て改めて思ったんです。『そんなにお金かけなくても、葬儀はできるんじゃないかな』って」
その瞬間、きみ子さんのなかで「夫を会社勤めのストレスから解放してあげたい」「もっと安価な葬儀を実現したい」、この2つの思いが掛け合わさった。
「そうだ。だったら二人で新しい葬儀社、始めればいいんだ!」
きみ子さんいわく「そこからは、起業のノウハウを猛勉強、二人で独立の準備に奔走した」という。ところが、妻の話を横で聞いていた夫は苦笑いを浮かべていて。
「いえいえ、全部妻がひとりで勝手に決めてしまって。私は『会社、辞めたい』なんて一言も。それに、このかた、勉強もなんも……、ただただ私に『葬儀社、やっから』って。それだけですよ(苦笑)」
夫のこの言葉に、妻は笑顔をはじけさせた。
「あれ、そうだったっけ? ま、私としては、夫の経験さえあれば、どうにかなんだろって(笑)」
こうして2010年2月1日、小さな葬儀社「いしはら葬斎」は、その産声をあげたのだが。起業したものの、仕事はなかなか入ってこない。充さんはひたすら事務所で電話番。きみ子さんは居酒屋のアルバイトをして、糊口をしのいだ。