多くの人が亡くなった東日本大震災。写真はのちに火葬することを前提とした仮埋葬の様子(写真:石井健) 画像を見る

【前編】孤独な遺体を受け入れ続ける夫婦2人だけの葬儀社の覚悟「身寄りがない方も私たちがお見送りします」より続く

 

葬儀社が福島県いわき市にあるいしはら葬斎。石原きみ子さん(63)と充さん(68)の夫婦2人だけで営む小さな葬儀社だ。

 

2010年に創業した同社は、生活保護を受けていた人の「福祉葬」を安価に引き受けたことをきっかけに、身寄りのない人や生活保護を受けていた人、さらに事件や事故の犠牲者、自殺者など、込み入った事情のある葬儀の依頼が次々寄せられるように。

 

そんな同社がどのように遺体に向き合ってきたか、東日本大震災をどう乗り越えたのか話を聞いた。(全2回の2回目)

 

■ドライブレコーダーに残されたわが子の最後の姿

 

仕事の半分以上が“訳あり”の故人の直葬といういしはら葬斎。石原さん夫妻に印象に残った仕事について尋ねると、充さんが真っ先に思い出したのが、海沿いの小屋で自死した男性のケースだった。

 

「発見まで時間がかかったご遺体で。警察から連絡をもらったときも『ちょっと傷んでるよ』とは聞いていたんです。警察署で二重の納体袋に入ったご遺体をお預かりして、棺に納めて。びっちりテープも貼ったんですけれど……、あれ、ほんのわずかな隙間でも見つけるんでしょうね、気がついたら、無数の虫がはい出てきて……。その後の掃除は大変でした」

 

きみ子さんは、ときに仕事とはまったく無関係な長電話に付き合うこともあるという。

 

「関東に住む、30代と思しき女性からでした。幼いときから関係が悪く交流の途絶えていたお母さんが、急逝したと連絡が来て、彼女は直葬で済ませたんだそうです。

 

でも『ずっと引っかかってる』と言ってました。『戒名もつけてあげなかった』『ちゃんとしたお葬式を出してあげられなかった』と」

 

いしはら葬斎のホームページを見て、自分の胸の内を聞いてほしくて電話をかけてきたという。涙ながらに語る女性に、きみ子さんは優しく、こう諭したという。

 

「いいんじゃない、別に戒名はつけなくても。それで困って戻ってきたって人、私は見たことないもの。それよりも、ずっとわだかまりがあったお母さんを、あなたはきちんと送ってあげた。そっちのほうがずっと大事。偉かったわね」

 

電話の向こう側では女性の啜り泣きが長い時間、続いたという。連日のように、人の死と向き合う石原さんたち。「正直言うと、それぞれの詳細はあまり覚えていないの」ときみ子さん。「引きずらないことが、この仕事を続けるコツなのかも」とも。

 

だが昨年末、引きずらないはずのきみ子さんの胸を、いまなお締めつける、そんな仕事があった。

 

「遠方から車でこっちに来て、自殺してしまった男性がいて。彼のことを迎えにきたご両親と会ったんですけど……。親御さんたちの姿を見ていたら、もう……」

 

朗らかに、インタビューに応じてきた彼女の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「いつもどおり出て行った息子が、変わり果てた姿で見つかったわけだから。ご両親、警察から引き取った車をそれは丹念に調べたそうです。そうしたら、ドライブレコーダーに、彼の足取りや最期のようすが鮮明に映っていたと……」

 

人生最後の日、彼は大好きな祖母とよく訪れた店にランチに立ち寄るなど、思い出の場所を巡っていた。やがて、いわき市に入った車は、遺体が発見された駐車場へ。目元を拭い、きみ子さんは続けた。

 

「彼は車内で練炭をたいて命を絶ってしまったんですが。ドライブレコーダーには、彼が車窓に淡々と目張りをする様子まで残っていたそうです。

 

それを見たというお母さん、誰に向けてでもなく、絞り出すように言ったんです。『このとき、あの子はどんな気持ちだったの?』って。それ聞いて私、一緒に泣くことしかできなくて……」

 

それまでも、一人さみしく自死した人を、何人も送ってきた。

 

「自ら死を選ぼうとする人に向かって『頑張れ』と言うのは、酷なこととはわかってますけど……」

 

こう前置きしながら、きみ子さんは言葉を継いだ。

 

「自分で選んで、そして逝くことができたってことは、神様の許しが出たってことかもしれないですよね。でもね、あのときのお母さんの、打ちひしがれた姿を見たら、息子さんに『そんな勇気があるのなら』って言ってやりたくなった。『どうしてなの?』って、どうしても思ってしまうんです……」

 

自身も3人の子の母であるきみ子さん。潤んだ目で語るその表情は、すっかり母の顔になっていた。

 

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