■ドイツの地で起きたわが子の不調
石田千尋さんは1983年1月、福井県鯖江市に3人きょうだいの長女として生まれた。幼少期は不器用なうえマイペースすぎる行動で“悪目立ち”していた、と千尋さんは当時を振り返る。
そんな千尋さんの転機は小学3年生で硬式テニスクラブに入会し鬼コーチと出会ったこと。
「とにかく厳しくて。挨拶をせずコートに入ると、『今日は帰れ!』と。そこで鍛えられて人並みに動けるようになりました(笑)」
プロを目指す子もいる強豪クラブ。千尋さんも県大会で表彰台に登る成績を残したことがある。
「引っぱってくれる恩師や仲間に恵まれただけ」と語る努力型の千尋さんは、早稲田大学の政治経済学部へ進学。就職先として選んだのは、地元の福井テレビだった。
「大学時代、9.11のテロがあり、テレビ画面にくぎ付けになって。報道の世界に興味が湧きました」
テレビ局時代は報道記者として県政からスポーツまで取材に飛び回った。そんななか出会ったのが後に夫となる男性だった。千尋さんは30歳で結婚。その4年後の2017年3月19日に長男・夕青くんが誕生した。
「心配なことが何一つなくて。発育が早すぎるくらいでした。9カ月で歩き始めて、すぐにボールを蹴ったりジャングルジムに登っては滑り台を駆け下りたり。発育も言葉も早かったです」
千尋さんが夕青くんとともにドイツ・デュッセルドルフに降り立ったのは2018年9月のこと。夫が仕事の都合で赴任することになったのだが、到着して1週間後、夕青くんの体調に異変が見られた。
「いつも『ママー、抱っこ』と勢いよく駆け寄ってくる夕青の元気がなくて……。渡独前にも発熱はあり、このくらいの年齢にはよくあることなのかと思って最初は地元の小さな病院で受診しました」
このときの医師は触診だけで「問題なし」との診断で、夕青くんには胃腸の調子を整える作用があるからとカモミールティーを処方された。しかし解熱せず、もやもやした気持ちを抱えたまま2つ目の病院へ赴いた。
「ここでも『お母さんの(新生活への)不安がお子さんに伝わっています。ドンと構えていないとダメだよ』と励まされただけでした」
その後も体調は安定せず。翌週は首のリンパ節が腫れあがっていたため、地域の中核病院で受診。ここではエコーなどの検査のあとただならぬ様子で「もっと大きな病院へ」と促された。このあと千尋さんは、夕青くんが小児がんであるとの告知を受けることに。
「『ニューロブラストーマ(神経芽腫)です』と。最初はドイツ語だったので理解できず、『英語でお願いします』と。キャンサーという単語も出ていたため『がん』なのだと理解しました」
神経芽腫は乳幼児に多いがんの一種で、夕青くんはすでに全身に転移のある「ステージ4」だった。
(取材・文:本荘そのこ)