■23歳で結婚した夫とは価値感の違いで離婚。二十数年前に叶えられなかった留学を決意
平野さんは京都で生まれ育った。
家は武者小路通にあった能装束織物の織元。日本舞踊は幼少期から15年習って、名取の腕前。
幼稚園のころ、ロビンちゃんというアメリカ人の親友がいて、アメリカに憧れを抱くようになった。
中学・高校には外国人教師が多く、卒業後は留学するつもりで準備をしていると、父が40代の若さで夭折してしまう。
葬儀を終えたら、アメリカに行くつもりだったが、母から「私を残してアメリカへ行くの?」と言われ、留学は諦めるしかなくなった。
母の勧めるまま23歳で結婚。夫は、福井県の港町の歯科医だった。
「42歳で夫を失った母には、私に婚期を逃させまいという強い思いがあり、私も母の敷いたレールに乗って結婚してしまった。今となっては痛恨の極みです。若いころの私は、現在の私とは大違い。主体性が全くなかったんです」
女性は、結婚して家事と育児に専念するのが正解で幸せと、誰もが信じた時代。23歳の平野さんには結婚に抗う術も理由もなかった。
「夫は歯科医としては優秀で、尊敬できる人でしたが、家庭ではワンマンで、性格や考え方には相いれない部分が多かったんです」
価値観の違いは日々、積み重なっていく。初めて友人を家に招いたときのこと。友人が連れてきた2歳の息子が食べ物をこぼすと、
「子供がこぼした床は、早く掃除したらどうですか」と、夫は少し声を荒らげて、注意した。
冷や水を浴びせられた思いだった。続いて怒りが湧いてくる。
「彼女は私の友人ですよ。なぜ、私に言わないのか。強い違和感を持ちました。夫からは『とにかく目立たないように』と言われ、娘と息子の子育てと教育が私の仕事と思っていました。それだけに子供たちが自立してからの夫との暮らしが考えられない。別々に生きようと心の中で決めていたんです」
息子が大学に進学した45歳で離婚。東京の大学に通っていた娘の家に居候して、元夫から得ていた少しばかりの生活費とアルバイトで、何とかなるだろうと考えていた。ビシッと叱ってくれたのは娘だ。「世間知らずもいいとこよ。バカよ」
新聞の求人欄を見ても正社員の求人は30歳以下がほとんど。40歳過ぎで専業主婦だった自分に簡単に職は見つからない。
現実を目の当たりにして、ようやく漠然とした不安に駆られた。
「どないしようと思ったとき、おじの『人間、何で生活をしているかが非常に大事なことである』という言葉を思い出したんです」
自分の軸を見つけて仕事にしなければ! そう思ったとき、脳裏をよぎったのがアメリカ留学。二十数年前に果たせなかった夢だった。
「これだ! と、胸が高鳴りました。夫が英語嫌いで22年間、英語から離れていたけれど、不思議と自信があったんです。留学して、英語で身を立てようと思ったんです」
まさに「やってみはったら」の決断だった。TOEFL試験のために神田の英語学校に通いながら、願書を取り寄せた。
「予算は800万円。結婚生活の間に貯めたへそくりです。4つの州立大学に願書を送り、最初に合格通知が来たのがコネチカット州立大学。縁を感じてここに決めました」