「向こう三軒両隣」は私が守る!マンモス団地の女性自治会長の奮闘
画像を見る 「誰もが同じ団地に暮らす家族」との思いで運動会や夏祭から自治会葬まで常に先頭に立ち住民らを率いてきた(撮影:五十川満)

 

■ほぼ半世紀前に家族で引っ越してきた。古きよき昭和の暮らしがかろうじて残って

 

「抽選に一回で当たったときは、憧れの団地生活ができるんだと、家族で大喜びしたものでした」

 

佐藤さん一家が大山団地に入居したのは、ほぼ半世紀前の1976年3月。会社員の夫(81)との間に、当時7歳の長男、3歳の長女に続いて次男が誕生した直後だった。

 

「そのころはまだ940世帯で、2階建ての3DK。風呂なしだったんですが、どのお宅も、小さな庭に自分で浴室を建て増ししてましたね。家賃は月6千円くらい。

 

幼い3人の子育てに追われ、近くに頼る親類もいなくて不安を抱えていた専業主婦の私でしたが、大山団地で暮らし始めたら、みんなで助け合うのが当たり前の生活がありました」

 

すでに日本中で失われつつあった古きよき昭和の生活が、ここにはかろうじて残っていた。

 

「うちは上の子が病弱でしたが、病院に連れていくときは隣のおばちゃんが下の子たちの面倒を見てくれ、私が熱を出すと『今日は子供たちはうちでごはんを食べさせるから』と言って、私にもおかゆを作ってくれたり。うちの子供たちは、団地のご近所さんに大きくしてもらったんです。

 

24歳で結婚。以降、市内のアパートや借家での暮らしを経て、前述のとおり大山団地へ。

 

やがて、わが子の成長とともに団地内の子供会やPTAの活動にも徐々に参加するようになる。

 

「そのうち、子供会などの活動を通じて、自然に自治会の様子も垣間見えるようになると、さまざまな疑問が生じてきました」

 

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