「20のうち19落ちた」“離婚のエキスパート”中里妃沙子さん 90年代に直面した“女性弁護士が就職する難しさ”【令和の寅子たち(1)】
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■2人の“変わり種”の恩師に導かれて――

 

当時の司法試験は、合格率が約2%という狭き門。中里さんは、なんと12回目の挑戦でようやく合格したのだ。その後2年間、司法修習生として実務などを学び、あとは弁護士としての活躍の場を見つける段階となったのだが……。

 

「1995年ごろは、女性の弁護士が就職するのが難しい時代で、20の法律事務所中19落ちました。ただ、運よく自分がいちばん入りたいと思っていた事務所が採用してくれました。

 

そこは男性の弁護士が1人でやっている事務所でしたが、企業案件の実績や事件処理などが天才的で、カリスマ性のある人でした。

 

女性弁護士が就職難のときに、私以外にもう1人女性を採用するなど、ちょっと変わったボス弁でしたけど(笑)。私は19の事務所に落とされた悔しさよりも、この人だという弁護士がいる事務所に入れた喜びのほうが大きかった」

 

就職してから3カ月。中里さんはいきなり、そのボス弁から大きな案件を任される。それは個人経営者が、ある大企業に立ち向かう金銭絡みの訴訟だった。

 

「プロの弁護士として、初めての仕事でした。最初はボス弁が担当していた案件でしたが、途中から最後まで私がやることになり、結審までに2年ぐらい費やしました。

 

第一審でコテンパンに負けました。でも、第二審では和解が成立したんです。大企業相手に和解に持ち込めたのは、事実上、勝ったようなもの。今思えば、ボス弁にはデビュー戦から凄い経験をさせてもらったと思っています」

 

中里さんの法律家人生は、まるで2人の変わった恩師に導かれたかのようでもある。その後彼女は、弁護士としてのキャリアを着々と積み重ね、2009年、離婚事件のリーディング法律事務所として、丸の内ソレイユ法律事務所を設立。

 

離婚問題に悩む多くの女性たちのために、的確な解決策を日々アドバイスしている。

 

「今後は、専業主婦の割合が減少することで、男性も育児や家事に参加する必要がさらに出てくるでしょう。そのような社会変化に伴い、男性からの相談件数も増える時代になってくると思います」

 

今後、アメリカにも事務所を開設して、離婚相談や国際相続の相談にも対応していきたいという中里さん。こんなにエネルギッシュでバイタリティ溢れる弁護士なら、相談したくなりますね!

 

【PROFILE】

なかざと・ひさこ

東北大学法学部卒業、司法修習47期。1995年に都内法律事務所での勤務を経て、アメリカに留学。南カリフォルニア大学ロースクールLLMコース卒業、2009年に弁護士法人丸の内ソレイユ法律事務所を設立。現在、法政大学大学院公共政策研究科サステイナビリティ学専攻兼任講師

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