“駆け込み寺”の庵主さん語る女性のあり方「あなたの名前は“お母さん”でも“奥さん”でもありません」
画像を見る 戒壇院の座禅会に通い始めていた38歳の頃に娘2人と

 

■「“お母さん”や“奥さん”という名前の女性はいない」

 

午後3時になると「作務」の時間となり、これも300年の歴史を持つ禅堂である宝林堂の前庭で修行体験の梶田さんたちは草取りを始めた。

 

「作務とは、禅の奉仕労働です。しばらくの間、何も考えず、作業に没頭してみてください」

 

そう説明する庵主さんに、梶田さんが問いかける。

 

「60歳を過ぎたころより、ふだんから何かに集中しようとしても、頭のどこかに、常に生きていく不安があります。誰もが、こんなに悩んでいるものでしょうか」

 

うなずきながら聞いていた庵主さんは、静かに語り始めた。

 

「子育て、病気、不倫、嫁姑問題など女性からの電話相談はほぼ毎日で、ときには夜中に『眠れないんです』と泣きながらかかってくる。一人暮らしじゃないんです。家族がいても、『寂しい』と言うんですね。

 

実は今朝も、この修行体験が始まる前に、関西から50代後半のご夫婦が訪ねてこられました。“夫の定年後の生活プランに夫婦で食い違いが生じて困っている”と」

 

夫は会社生活から解放されたら、今度は夫婦の時間を楽しみたいと考えている。一方の妻は、

 

「60代、70代を前に自分の体のメンテナンスだけで精いっぱいなのに、もう主人の面倒まで見る気力はありません。気がつけば、この人の世話ばかりしてきた。子育ても終えて“私の人生っていったい何だったんだろう”って、つい考えてしまうんです」

 

庵主さんが言う。

 

「双方の話を聞いてわかったのは、とにかく奥さんの心身が、もういっぱいいっぱいだということ。だから私、『一回、離れてみてはどうですか』と助言しました。夫婦の問題だけじゃありません。何事もそう。疲れたら、一回、全部やめてみる、降りてみる、捨ててみることも大事」

 

だから、「夫婦は仲よく」「相手を恨むのはよくない」など、耳ざわりのよいだけの言葉を簡単には口にしない。

 

「私は『ぶり返す悩みは、とことん吐き出しなさい』と言います。その代わり、心の粗大ゴミは、いったん捨てたら追いかけないこと。

 

いまや人生百年時代で、定年してからが長い。相手の人生を尊重して干渉しないのは互いのためでもあるんです。あとは、おふたりが別居期間の後に、どう判断するか。いっそ別れるか、イヤイヤながらも生活できそうならばそれもよし。

 

あくまで決めるのは、あなた自身。“お母さん”や“奥さん”という名前の女性はいません。素敵なあなただけの名を思い出して、自分らしく生きる時間を大切にしてください」

 

ただし、庵主さんは自身の体験から、離婚には相応の覚悟も必要なことも必ず付け加えるという。

 

「妻たちには、はっきり言います。『離婚して、家庭からいわゆる主人と呼ばれる存在がいなくなると、日本の社会は非情なものですよ』と。私自身、離婚後に世間の冷たい風にさらされたときは、『女と思ってなめとんな』と、自分を奮起する材料にしましたけど」

 

このあと、草取りの作務を終えた梶田さんたちは、手作りうどんの薬石(夕食)と写経を済ませ、明朝の4時起床に備えて、早くも21時には消灯となった。

 

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