海上自衛隊で女性初めての“海将”になった近藤奈津枝さん 本誌に明かした「入隊を母に大反対された過去」
画像を見る 護衛艦「ちくま」の甲板で敬礼する近藤奈津枝さん(撮影:加治屋誠)

 

■「これからの時代は、性別によりチャンスを摘み取ってはならないと強く思います」

 

自衛隊といえば厳しい訓練を思い浮かべる人も多いだろう。

 

「陸上自衛隊の中でも、特に厳しいと称される空挺レンジャーの養成訓練がメディアで報じられる機会が多いため、そのようなイメージを持たれるのでしょう。しかし海上自衛隊で厳しい訓練があるのは、入隊時に入校した(広島県)江田島市の幹部候補生学校の最初の1年間くらいです」

 

約16キロの遠泳や、オールでボートを漕ぐ、とう漕訓練も男性と同じように課される。

 

「廿日市市の弥山は歩いて登ってもきつい山ですが、これも走って登るのです。昨年まで幹部候補生学校の校長をしていて、学生と一緒に走って登ったのですけど、まだまだ行けますね(笑)」

 

近藤さんが幹部候補生学校に在籍していた期間、体力面でついていけないことはなかったが、女性であるために、挑戦すらできなかった訓練があった。

 

「艦艇内に女性が宿泊する施設が整っていなかったり、規則や基準が整備されていなかったりしたことから、女性は艦艇勤務や、長期間海外に展開する遠洋練習航海に参加できなかったですね。それが本当に残念で悔しかったです」

 

遠洋練習航海に出立する際、舟艇と呼ばれる小船に乗って桟橋を出発する。同期の男性自衛官たちがそれぞれ練習艦に移乗していくなか、近藤さんを含めた女性自衛官は舟艇に乗ったまま見送り、再び桟橋に戻ることになる。

 

「みんな、舟艇の中で泣いていました。実習幹部として海外を訪れて得るものは、その後の海上自衛隊勤務に大きく影響します。しかし私たちにはその財産がないのです。これからの時代は、性別によりチャンスを摘み取ってはならないと強く思います」

 

女性であるために大きなビハインドはあったが、配属された経理や補給の仕事の現場で、着実に活躍の場を広げていこうと決意していたという。

 

「現在の海自はワークライフバランスを重視していますが、私が若いころは、予算編成時期や演習期間は、何日も連続で泊まり込んで仕事をしたり、徹夜に近い状態が続いたりしたこともありました。

 

そんなとき私は分隊長として、業務が一段落するのを待って、若い隊員たちに『みんな、そのくらいにして、一度中断して飲みに行くよ』と誘っていました。振り返ってみると“気分転換になるどころか、逆にキツいんですけど”と、彼らからすれば不評だったかもしれませんね」

 

当時から休日でも夜の酒席でも、部下とのコミュニケーションを絶やさなかった。現在、近藤さんを補佐する青木邦夫幕僚長はこう語る。

 

「幹部候補生学校では私は97期で、近藤総監は89期。8期先輩にあたりますが、私が入隊したころにはすでに有名な方で、お名前は存じ上げていました。笑顔が絶えず、明朗な方という印象です。

 

10年ほど前、佐世保地区で私が護衛艦の艦長をしていた時代に、近藤総監(当時、佐世保地方総監部・経理部長)と同じ地区での勤務地になりました。会議などでもお話しする機会があったのですが、私が抱いていた第一印象そのままの方でした。

 

その後、ワークライフバランス推進企画班長をしていたとき、女性活躍の先駆者として、近藤さんのお話を聞いたりアドバイスをいただいたりという機会にも恵まれたのです」

 

そんな近藤さんの声などが生かされ、女性が活躍できる職場へと改善が重ねられていったのだろう。近藤さん自身はこう語る。

 

「自衛隊員は何か不測の事態が起こった際は、例外なく部隊に戻ります。小さい子供がいる隊員でも例外ではありません。そうした隊員も憂いなく即応できるように、緊急登庁時の子供一時預かりという制度もあります。これは自衛隊特有の制度ではないかと思います」

 

また女性がどのような訓練にも参加できるようにするために、設備面にも目を配っているという。

 

「女性が勤務するうえで、とにかく我慢することのないよう、要望や改善提案をどんどん上げてくるように指示しています。それでもみんな遠慮するので、私を直接補佐するスタッフ自らが女性用トイレや更衣室などの設備を見回りするよう指示しています。いまだに和式トイレが多いのも課題なのです」

 

(取材・文/小野建史)

 

【後編】口癖は「国を守る、国民を守る」の海上自衛隊海将・近藤奈津枝さん 持ち歌は振り付けも完璧な『女々しくて』へ続く

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