■飯塚受刑者の反省と後悔を社会に伝えたい
面会の準備を進めてきた松永さんだが、面接では予想外のことが。
「彼は衰えからか『おぉ……』という感じで、質問して3~4分待っても言葉が出てこない状態でした。
それで途中から、『はい』か『いいえ』で答えられる質問に切り替えたんです」
質問はすべて、〈国や自治体でどのような支援があれば、免許を返納していたか〉など、“再発防止”に生かすための内容だ。
松永さんの問いに、おぼつかない様子で「はい」か「いいえ」で答えていた飯塚受刑者が、唯一、自分の言葉で答えた質問があった。それは、「再発防止の観点から、世の中の高齢者やそのご家族に伝えたいことはあるか」という質問だ。
「彼は、『早く免許を返すように伝えていただきたい』と、ご自身の言葉で即答されました。あの事故を起こしてしまった彼だからこそ、世に強く訴えたいことなんだと思います。こうしたメッセージを、しっかり社会に伝えるのが私の役目です」
そう前を向く松永さんだが、こうした心境に至るまでには、つらく苦しい日々が長く続いたという。
「彼の権利だとはいえ、裁判中は、明らかに無理な主張で無罪を争おうとする彼の態度に苦しみました。だから、なんとか有罪にしてほしい、と心を鬼にして闘ったんです。
私は怒るのが苦手で、真菜と莉子にも怒った姿を見せたことがなかった。だから、そんな自分の姿を見せるのがいやで、ふたりの仏前で泣きながら謝ったほどです」
そんな松永さんの心境に変化が生じたのは、飯塚受刑者に禁錮5年の刑が確定したときだった。
「私はあのとき、刑を言い渡される彼の横顔を間近で見ながら、とってもむなしかった。
実刑が下ってうれしいどころか、むなしくて涙があふれた。
なぜ、加害者と被害者として互いに苦しみながら、こんなところにいるんだろう。なんとか事故を防げなかったのか、と」
ここから松永さんは、同じような被害者、加害者を生み出さない活動に、いっそうまい進し始める。
さらに今年2月、飯塚受刑者から謝罪の手紙を受け取ったことで、その思いはより強まった。
「彼からの手紙には、〈これ以上時間が経ってしまうと文字を書けなくなりそうだから、その前に遺族の皆様に謝罪したい〉と記されていました。
文面から彼の反省と後悔の念が伝わってきたんです」
松永さんは、これを読み「彼の反省と後悔の気持ちを、私の中だけでとどめておいてはいけない。社会に広めることで、再発防止につなげよう」と、心に誓った。
「過ちを犯した人の言葉って、後生の人たちの大きな学びになると思うんです。誰も被害者や加害者にならないよう、彼の経験や言葉をむだにしたくないと思って」
“被害者と加害者”という本来なら相いれない立場を超えて、“再発防止”という目的に向かって共闘していこう、と決意したのだ。