人口のおよそ3割が65歳以上の高齢者。物価が高騰しても、年金は上がらず、生きていくために働き続けるしかない。
84歳の介護ヘルパーがいると聞けば、そんな厳しい日本の現実を反映するような話と思われる人がいるかもしれない。だが、本人はというと……。介護を天職だと思っている。日々、楽しんでいる。やりがいを感じている。
超高齢社会で、介護とは、働くこととは何なのか、考えさせてくれる女性に会ってきた(前後編の前編)。
■140センチの小さな体…でも馬力は人一倍
街なかから車を10分ほど走らせ、浜松市天竜区の天竜川水系・阿多古川沿いに山道を登っていく。途中、豪雨による土砂崩れによって通行止めになった道路があるため迂回路に入ると、車1台がやっと通れるような急勾配の登り道に。
助手席の窓から覗くと、車は道路ギリギリを走っており、少し左によると脱輪してしまいそうなほど。前方から車が来ないことを確認すると、エンジンを唸らせて、車は山頂方面へ一気に走りだした。
「あと数日で通行止めも解除されるから、取材の記念に迂回路を見てもらいたかったんです」
隣の運転席を見ると、長田(おさだ)テツ子さんが涼しい顔で笑っている。
「測るたびに縮まる」という140センチ台後半の身長のため「足を伸ばしてブレーキをしっかり踏める」よう、座席を目いっぱい、前方にスライドして、大きなハンドルにしがみつくように愛車を駆っている。ワインレッドのワンボックス軽自動車の走行距離は14万キロ超だ。
それもそのはず、テツ子さんは訪問介護事業所「てんまるっと」(静岡県浜松市)に所属するヘルパーとして、日々、100キロの山道を運転して、利用者のもとを訪問しているのだ。しかも、84歳!
「今日の午前中だけでも50キロ弱走っています。昨日は104キロ。でも、街なかと違って信号も車線変更もないし、歩行者もめったに見かけないですから、山のほうが運転は楽なんです。利用者さんは心配して『雨の日はいいでね、来なくても』っていうけど、全然、大丈夫です」
そう語ると、狭い山道を巧みに運転して、目的地に到着。車のロックもせずに利用者宅へ訪問した。
「こんにちはー、来たよー」
テツ子さんが元気に挨拶すると、市川春さん(97)の表情がほころんだ。寝たきりの春さんの血圧や体温を測定し、おむつ交換をテキパキと済ますと、夕食の時間に。
テツ子さんは食事の介助をしながら、つねに話しかけている。20分ほどで食事を終えると、介護ベッドの背もたれを倒し、一度テツ子さんは春さんをそっと抱きしめて、この日の訪問介護が終了した。
日々、テツ子さんが奮闘する訪問介護だが、いま危機にしている。低賃金のうえにきつい仕事であるため、慢性的に人材不足なのだ。2022年の訪問介護職員の有効求人倍率は、15倍超。つまり、15社が求人しても、集まるのはようやく1人という状況。結果、若手が定着せず、ヘルパーは高齢化の一途をたどっており、4人に1人が65歳以上だ。
そんな状況にも「てんまるっと」常務取締役の村松幸男さんは希望も見いだしている。
「高齢の利用者さんが安心できるのは、孫くらい離れた人よりも、自分の気持ちを察してくれる60歳以上の人だと思っています」
そのため、3年前の「てんまるっと」立ち上げの際、地元で福祉・介護の仕事に長年携わり“地域の顔”である、当時81歳のテツ子さんに声をかけたのだった。テツ子さんは笑顔で語る。
「自分よりも年下の介護にあたることも珍しくありませんが、まだまだ新人なんです」
寝たきりの市川春さんを在宅介護している、娘婿の加藤友行さん(75)が語る。
「春さんは寝たきりだけど、100歳までは頑張ってほしいと思っているんです。自分もできる限り介護をしたいんだけど、おむつ交換とかをやってくれるのは本当に助かります。長田さんが来ると春さんは喜ぶし、心の底から感謝しています」
週2回、テツ子さんの訪問介護を受け、掃除や洗濯などの生活支援をしてもらっているのは植田静夫さん(80)だ。なんとテツ子さんよりも年下だ。
「威張ったりする人もいたりするけど、長田さんは明るくてニコニコしていますよ。一人っきりで家にいると全然しゃべらないから、長田さんが来るのは楽しみですよね。先日は自家製のらっきょう漬けを持って帰ってもらったんです」