■夫が教えてくれた。「生きているうちに力になれば、涙は出ない」
もちろん、テツ子さんが利用者の信頼を得るまで仕事に打ち込めたのは、夫の叶彦さんの理解があったからこそ。だが、昨年末から叶彦さんは体調を崩し、食事が食べられなくなり、横になる時間が増えていった。
「お風呂では、髭剃りは自分でやっていたけど、頭や背中は私が洗っていました。湯船に肩までつからないと嫌な人だから、私が介助して湯船に入れて、足をマッサージしてあげたりしていました」
これまでの介護の仕事が、叶彦さんのサポートの役に立ったのだ。叶彦さんもまた、テツ子さんを頼りにしていたのだろう。
「トイレも壁を伝って、私に支えられながら行っていました。たまに近くに住む娘が家に来て主人を支えようとしたら『お母さんがやるからいい』と断るんですね(笑)」
そんな叶彦さんの、忘れられない一言があるという。
「何がきっかけなのか、はっきり覚えていないのですが『お母さん、死んでから泣く人は、生きているうちにその人にちゃんと寄り添っていなかったからだよ。生きているうちにしっかり力になれば、涙は出ないものだ』って。だから私も『うんと見るから、泣かんようにするね』って答えたんです」
テツ子さんは利用者だけでなく、叶彦さんにも真摯に向き合った。
「年末、主人がカニを食べたいと言ったので、娘も呼んでカニ鍋を作ったんです。でも、主人は『見るだけでおなかいっぱいだ』と、一口しか食べられませんでした。食べられずに弱っていく姿は、介護の仕事の現場で嫌というほど見ていたので、心配でした」
年が明けて1月になると、叶彦さんは1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
「朝、『お父さん、行ってくるね』というと、『行ってくればいいよ』と送り出してくれましたが、もしかしたらいてほしかったのかもしれません。訪問介護があっても時間をやりくりして、お昼には必ず一回家に帰っていました」
だが、1月中旬の夜中、叶彦さんの喉がゴロゴロと音をしたため、誤嚥性肺炎ではないかと心配したテツ子さんは、救急車を呼んだ。
「誤嚥性肺炎ではなくて脱水症状と診断され、その日から入院生活が始まりました」
テツ子さんは毎日のように、仕事が終わってから病院に顔を出した。たわいのない会話もしていた。
「私のこと、わかる?」
「くだらんこと言うな」
「じゃあ、名前呼んで」
「テツ子」
「結婚してから名前を呼んでもらえなかったから、うれしかったですね」
病室で2人きりで過ごす時間は穏やかだったという。だが、日々、弱っていく叶彦さんは、1月23日、87年の生涯の幕を閉じた。
「最期は病室で1時間ほど一緒に過ごすことができて、安らかに看取ることができました」
60年以上も連れ添った夫の葬式では、もっと泣くかと思ったが、不思議と涙は出なかった。
「生きているうちにしっかり力になれば、涙は出ない」
叶彦さんの言葉どおりだった──。
「がんばって生きてきた人が、人生の最後に豊かな時間を過ごせたと思ってもらえるように、介護の仕事でも、利用者さんの想いに寄り添っていきたいです」
(取材・文:小野建史)