医療的ケア児の次男を撮り続けるママカメラマン「私はここにいる」
画像を見る 小学生時代、母親と弟と一緒に

 

■同じように孤独を感じている主婦や母親は多いのではないか

 

「息子の障害は、生まれた瞬間から、私の想像をはるかに超えてました。生後3日目には、正式に先天性サイトメガロウイルス感染症と診断が下りました」

 

このウイルスは、妊婦が感染した場合、流産、死産や赤ちゃんの脳、視力、聴力などに障害が生じることがある。

 

日本では出生数1,000人に対し1人の頻度と推定される。

 

「母親としては、一日一日を、ただただ『生きていてください』と願うしかありませんでした」

 

3カ月間のNICUを経て生後半年で退院した瑞樹君だったが、急に呼吸が止まる「息止め発作」などで、その後も入退院を繰り返していく。

 

「瑞樹が生まれて、夫は1カ月の育休のあとに仕事復帰しました。

 

私は1年間の育休後に熟慮の末、退職しました。会社は引き止めてくれましたが、自宅でも15?20分ごとのたんの吸引などに加え入退院時の世話や、預ける所もなくて先が見えない状況でしたから」

 

2010年春には三男も誕生した。そして、瑞樹君が2歳のころ、急に体調が悪化する。

 

「ですが、上の子たちもいるうえに、赤ん坊の末っ子の世話もあって、すぐには病院に連れていけず。夫はサラッと『仕事で無理だよ』で、近所に住む実母も『友達とご飯を食べに行く約束してる』と。

 

正直、イラッともしましたが、我慢するしかなくて。

 

で、夫の帰りを待ち夜になって病院に駆け込んだのですが、やはり瑞樹の状態はかなり悪くなっていて、緊急入院となってしまいました」

 

このとき、山本さんは夫らを前に、初めて感情を爆発させた。

 

「瑞樹が生まれてから、あなたたちの人生は何も変わっていないけど、私ひとりだけ会社も辞めて、家に入って、これっておかしくない!?」

 

怒りもあったし、深い孤独も感じていた。

 

「家族だからといって、みんなが母親の私と同じ認識ではないんだ、と。そんなことが何度も重なっていくうちに、どうせ言っても断られたりなので、モヤッとしながらも、何も言わなくなるんです。

 

これって、障害のことだけじゃなく、同じように何かで我慢したり、孤独を感じている主婦や母親は多いんじゃないでしょうか」

 

やがて3歳になった瑞樹君は療育園に通い始めるが、5歳で肝硬変が見つかり、人工呼吸器装着に向けての気管切開も行われた。

 

そして2015年4月、都立の特別支援学校小学部に入学。

 

「医ケア児の瑞樹が通学するとなると、彼に必要なアンビューバッグ(気管切開部に空気を送り込む医療機器)の操作を、東京都のルールでは学校の看護師さんが担えないため、万が一に備えて、母親である私の付き添いが必要になりました」

 

週4日、午前9時から午後3時まで約6時間、山本さんが車いすの瑞樹君の通学に付き添い、校内の控室で待機する日々が始まった。

 

【後編】特別支援学校の実態を撮り続けたママカメラマン「僕にはみえているよ」へ続く

 

(取材・文:堀ノ内雅一)

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