“空飛ぶママさんドクター”を作った父の病と自衛隊員としての猛訓練
画像を見る (撮影:ただ[ゆかい])

 

■「自衛隊の枠にとらわれず幅広い仕事をしては」と夫が背中を押してくれた

 

父を送り、6年の大学生活を終えると、2年間の研修医期間が始まった。最初の1年6カ月は各科をローテーションでまわり、最後の半年は希望の診療科に所属。

 

「医学科6年のときに各診療科の勧誘を受けました。外科は生理的に電気メスで組織を焼くにおいが無理だし、父のことがあって総合臨床医を目指していたので、いちばん患者が多く、内視鏡の技術も磨ける消化器内科に進んだんです」

 

研修医生活を終えると、群馬県の駐屯地に配属された。長野オリンピックでは、設営作業をする自衛隊員の診療と健康管理をする救護所を運営するため派遣された。

 

防衛医大卒業後8年目で、大学院に進学することに。その直前、幹部上級課程の研修などで知り合った歯科医官の佑治さんとの交際が始まった。

 

「夫とは、隊員の身体検査や、年に1回の会議などで出会っていたそうですが、私は知らなかったんです。でも、女子がほとんどいない環境だったので、夫は私を見て印象に残っていたみたい。若いころは、痩せていてかわいかったんですよ(笑)」

 

由紀子さんが勤務する埼玉県朝霞市、佑治さんが勤務する静岡県御殿場市とで“中距離恋愛”を開始し、わずか数カ月でプロポーズされた。

 

「夫は2歳上でそろそろ結婚したいという思いがあったみたいです。私も35歳の高齢出産になる前に子供を産みたいと思っていたから、32歳のときに結婚しました」

 

防衛医大大学院では、妊娠・出産する学生は初めてのケース。なかにはよく思わない教授もいたが、担当教授は「日本のために、産みなさい」と応援してくれたという。

 

「長女には出産前から先天性の病気があることが判明していたんです。病気のことはショックでしたが、何があっても産むつもりだったので、無我夢中でした」

 

出産後、朝は大学の官舎から車で10分のところにある保育ママに預けて、学校に戻る。完全母乳で育てたかったので、学校で搾った母乳を昼休みに自転車に乗って届けた。そして夕方に迎えに行ったあと、近所に住む母に子供を託し、研究の続きをするために、再び学校へ引き返した。

 

「長女が保育園に預けられるようになってからも、大変でした。免疫力が低いために、感染症にかかってしまうんです。しかも普通の風邪でも、肺炎になって、2~3週間入院したり……。母や義母、夫と私の大人4人がヘトヘトになりながら、交代で1人の赤ちゃんにつきっきりでした。子育ても中途半端、研究もうまくいかないと悩んでいた時期に『人間を一人育てるという、ありえないくらい大事なことをやっているんだから、自分を責めるな』という同僚の言葉に勇気づけられました」

 

長女が4歳を迎えて入院回数が減ったころに、次女が誕生。

 

「次女は健康に生まれたから“こんなに手がかからないのか”と思うほどでした」

 

とはいうものの、育児と仕事の両立で心身ともに疲れ切ってしまい、“一度、ゆっくりしたい”と、2017年2月に自衛隊を除隊したのだった。

 

かなりの収入減になってしまうが、背中を押してくれたのは、先に除隊していた佑治さんだ。

 

「もともと自衛隊の枠にとらわれない自由な人。もっと幅広い仕事をするほうが合っているんじゃないかと思いました」(佑治さん)

 

由紀子さんは友人が立ち上げた医師紹介会社に登録しつつ、ツテをたどって週に2~3回、首都圏近郊の病院や企業健診のアルバイトに行きはじめた。

 

「近場の市町村に行って、午前中だけ働いたらゆっくりランチをして温浴施設で温まって帰ってくる生活で、心身の疲れが癒され元気になっていきました。そして、自衛隊時代は仕事に疲れていたけど、医師の仕事自体は大好きなんだと再認識したんです」

 

次ページ >オンライン診療より対面での診察にこだわる。そして今日も僻地に向かう

【関連画像】

関連カテゴリー: