もやし生活、陣痛中も仕事…極貧留学生から年商50億円アパレル会社を立ち上げた女経営者の壮絶半生
画像を見る 「ABITOKYO」などを展開する年商50億円超のアパレル会社の社長、燕泳静さん

 

■ZOZOでの快進撃

 

「チャンスが嬉しくてたまらなかったのも束の間。開店日まで4ヵ月しか時間がありませんでした」

 

第二子が生まれたばかりの中、ワンピース、スカート、パンツ、アウターなどデザインを考え100型を揃え、開店に向けてベビーカーを押しながら邁進した。

 

’19年3月14日、いよいよZOZOTOWNでオリジナルブランド「ABITOKYO」がオープンを迎えた。

 

「大きな広告費もないので、SNSなどで発信しながら、スタッフ総出で、親戚や友人に協力をお願いをしました。せっかくのチャンスを手放すわけにはいかなかった」

 

恥もプライドもかなぐり捨てて、スタッフ全員で一丸となった。

 

「始めの数ヵ月は、売り上げがいいとは言えませんでした。それでも次の商品の準備をしつつ、例えばモデルの顔をカットした方が服に目が行きやすいとか、正面だけでなく後ろ姿の写真も載せた方がわかりやすいなど、分析、工夫をして修正を加えていくことで徐々に売り上げも上がっていきました」

 

こうして販売開始から3ヵ月ほど経ったある日、あるワンピースが爆発的にヒットしたという。

 

「それまで1日何万円かの売り上げだったのが、そのワンピースは1日に何百枚も売れ、ひと月で5000万円を売り上げました。青天の霹靂でした。民事再生騒動のときは不安で眠れない夜を過ごしましたが、このときは売れすぎて眠れなくなってしまいました(笑)」

 

“爆売れ”したのはAラインでウエストがシャーリングになっている夏物のマキシワンピースだった。体型に合わせてウエストを調節できるため、多くの人にフィットするデザインだったことが当たった。次々と追加生産し、3色展開だったところを10色に展開した。

 

「街中で着ている人を見かけるようになりました。実際に目にしたときは、とても感激したことを覚えています」

 

このヒットをきっかけに、コンスタントに売れ筋商品が出始めた。気がつけば、1年後には月商1億、2年後には月2億の売り上げを達成していた。驚きを隠せないZOZOTOWNの担当者は、燕さんに“何をしたのか”聞いたという。

 

「ただひたすら、やるべきことをやってるだけです。そうしたら売れたのです」

 

燕さんの答えは、つまらなかった。つまらないけれど、それが全てだった。“私がいいなと思う商品を作る”、本当にそれだけだった。

 

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出典元:

WEB女性自身

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