■「子供たちのことを書こう」。わずかな希望を胸に小説を書き始めた
《大丈夫やで。いつか胸のおくにチカッとあかりが灯るんや。ほならあかりの見えるほうに行ったらええんや。そんときほんまに行きたいとこに行ける》(『雪の日にライオンを見に行く』より)
自宅や病院で闘病する日々が始まった。思い浮かぶのは、教室での子供たちの顔。
「本当に悲しくて、申し訳なくて……。満足にお別れを言うこともできなかったことも悔やまれて毎日、泣いていました」
そんな日が幾日も続くうちに、「自分にできることは何だろう」と病床で考えるようになった。幼少期に抱いていた作家の夢が頭に浮かんだ。そして、充実した教師生活の思い出とともに、子供たちの声が聞こえた気がした。
「子供たちのことを書こう」
胸の奥に、ほのかなあかりが見えた瞬間だった。「基礎から学びたい」と、NHK文化センターで開講する創作童話教室に入会。月1度、足を引きずって名古屋に通った。
「柳行李いっぱいに作品を書いたらプロになれるよ」という講師のことばを指針に、「最後に担任した子供たちが卒業するまでに100編の作品を書く」という誓いを立てた。当時2年生だった子供たちはすでに5年生。時間は2年足らずしかなかった。
ひたすら書き続けた。早くも作品が2019年度の「日産 童話と絵本のグランプリ」の佳作に選ばれる。山梨に行ってしまったあの子のことをモデルに書いた『また明日』という作品だった。
創作童話教室の講師で、自身も元小学校教師でもある、児童文学作家の野村一秋さんはこう語る。
「志津さんの最初の作品はフィリピンパブを営む家庭の子を描いたものだったといます。そのときから、『書ける人』だと思いました。
その後も何編か読んでいくと、とりわけ問題を抱えるお子さんに深い愛情を注ぐ教師だったことが伝わってきました。彼女の長年の教師経験が作品にリアリティをもたらしているのでしょう」
その後も、書いた作品が小さな賞に入賞したり、児童文学のアンソロジー集に収録されたりするようになった。少しずつ作家としての自信がつき始めていたが、心残りがあった。突然の退職のために、かつての教え子たちに別れの挨拶ができなかったことだ。
2020年秋、坂本小学校の運動会に招かれた。最後に担任した子供たちはすでに6年生になっていた。逃げるように学校を去ったことを負い目に感じていた。
「自分のことを受け入れてくれるだろうか」
そんな不安は子供たちの顔を見た瞬間、吹き飛んだ。みな満面の笑みで自分を迎えてくれた。児童文学を書いていることを話すと、「自分のことを小説に出して」「あのことは書かないでね」と口々に言ってくる。かつての教室の喧騒を懐かしく思った。
学校を出ようとしたとき、ひとりの少年が走ってきた。担任を受け持ったとき、腎臓病を患い長い入院をしていた子だった。毎日、学校が終わると宿題やプリントを届けるために病室を訪れたことを思い出した。息も切らさずに駆け寄ってきた少年はこう叫んだ。
「先生も頑張って!」
翌年3月、『由佳とかっちゃん』という作品が「第23回ちゅうでん児童文学賞」で優秀賞を受賞する。学校の窓から飛び出そうとしたあの子をモデルにした小説だった。賞金は坂本小学校に寄付した。そして、教え子たちの卒業に際して、こんなメッセージを贈った。
《過去なんか振り返らなくていいのですよ。前へ前へ、明るい方へ。自分が行きたいと思う未来に向かって進んでいってくださいね。この先、みなさんはどこにだって行けるし、なんだってできるのです》
この言葉を証明するかのように、翌年に『雪の日にライオンを見に行く』が「第24回ちゅうでん児童文学賞」の大賞に輝く。主人公の唯人はいつの日か父親を殴ることを夢見ている。
教え子たちとの思い出が作品の中に息づいていた。
