殴られるたび母は「優しかったお父ちゃんにいつか戻らはる」と…桑原征平さん明かす「父を変えた戦争のトラウマ」
画像を見る 81歳の今もラジオパーソナリティとして最前線で活躍する征平さん(撮影:小松健一)

 

■逃げる容疑者の腕を切り落とした父

 

征平さんは、父・栄さんと、母・フミさんの三男として、1944年5月14日、京都市右京区で誕生した。

 

「空襲警報が鳴って、自宅の防空壕に避難しているとき、母親が産気づいた。それで親父が僕を取り上げたんです」

 

“出征”から一文字とった“征平”という名前には、復員兵だった父の複雑な思いが込められているという。

 

「親父は、1938年から1年間、日中戦争に出征しました。三男の僕が生まれたのは、親父が復員して5年後。二度目の召集はなかったんか、逃げ回ってたんかわかりませんけど。やっぱり心のどこかで、お国に対して奉公せなあかんという気持ちがあったんやろうね。だから親父は僕に“征平”と名付けた」

 

父はもともと優しい人だった。それは母がたびたび語った結婚のいきさつからもうかがえる。

 

「母は、小児まひの影響で、右腕は思うように動かへんし、歩くときも足を引きずっていました。昔のことやから、親にも『この子は結婚できない』と言われてたんやけど、当時京都府警の巡査をしていた親父が、交番の前に住んでいた母にほれたんやね。

 

『お嬢さんと結婚させてください!』と言うてきた。『いえ、この子は結婚できるような体やおへん』と祖父母は断ったそうですが、『姿形はどうでもいい、優しい人柄にほれた』と言うて、結婚したんです。出征するまでの約3年間は本当に幸せな結婚生活やったようです」

 

しかし、戦地から戻った夫は「人が変わった」ようになっていた。

 

「復員後、巡査の職に復帰したんですが、違法賭博の現場に踏み込んだ際、逃走する容疑者の片腕を、持っていたサーベルで斬り落としたそうです」

 

その常軌を逸した行動が問題視され、栄さんは京都のはずれにある派出所へと左遷されたのだった。

 

「親父は、これを機に巡査を辞めました。それからは仕事を転々と変えて、何をやっても長続きしない。『あんなバカと仕事できるか!』って怒っては、すぐに辞めるようになったんです」

 

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