■働きづめだった父に楽をさせること、引退させてあげること、が目標だった
再出発を果たした父と娘たちだったが、試練はまだ終わりではなかった。
まず、三女の麗奈さんが「自分のやりたい仕事をしたい」とパン店を“卒業”してしまう。さらに、開業から1年半にも満たない2022年3月、家族はもっと大きな苦難に見舞われる。
「朝6時ぐらいやったかな。店で仕込みをしとったら背中にね、突然太いでも打ち込まれたような、激しい痛みに襲われて。救急車で緊急入院したんです」(正悟さん)
大黒柱の正悟さんが大動脈解離で倒れたのだ。舞美さんはその遠因を「気が張り詰めたまま、仕事を続けたからでは」と分析した。
「再建できたのは、すごくうれしいんです。でも、私たち家族が崖っぷちに立っている事実に変わりはなくて。借金は倍になりましたし、お店の規模は当初の店の3倍に。
だから私も優里も、もちろん父も、開業前から超焦ってました。『もう、とにかくやるしかない、できない未来はない』って(苦笑)。そんな気持ちで、父はまたしても休みなく、寝る時間も削って仕事してましたから。無理がたたってしまったんだと思います」(舞美さん)
幸いにも一命を取り留めることができた正悟さん。娘たちから「神様が『休め』と命令してる」と諭され、店の経営もパンの製造も、長女と次女に任せることに。
「父はたまに店に来ては、私が焼いたパンを試食します。『これはあかん』『少しはマシか』と絶対、普通に褒めようとはしません(笑)。だけど、自分が任されるようになって、改めて父の職人としてのすごさがわかるようにも。その父に、いつか私のパンを『おいしい』と言わせたいです」(優里さん)
妹の言葉を笑みを浮かべ聞いていた、いまや人気店の経営者になった姉は、こう言葉を継いだ。
「最初に私が『みんなで店やろう』と言ったときの目標は、働きづめの父に楽をさせること、引退させてあげることでした。だから、ある意味それは達成できました。
今後の目標は、スタッフの人たちが『仕事って楽しい』と思える、やりがいある職場を提供すること。
誰よりも、優里にそう思ってもらいたくて。妹は西宮のころから、頑固な父の厳しい指導を受け、火災後は他店で修業も。
いま、優里が作るアップルパイや、そのほかすべてのパンは、贔屓目抜きで格別においしいです。だから、もっと自信を持って仕事を楽しんでほしいと、そう切に思ってます」
父と、亡き母の夢をかなえたブーランジェリーは、いつしか姉妹の夢、そのものになっていた。
(取材・文:仲本剛)
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