■彼氏を下宿に入れて母に殴られたことも
そんな母のもと、県内の進学校、奈良県立畝傍高校に進学。ところが高校生となった高市は、中学のころから好きだったロックにのめり込む。また16歳からはバイクにも夢中になった。高市へのインタビューをもとに『高市早苗 愛国とロック』(飛鳥新社)を出版した作家の大下英治さんが語る。
「学校にはいつも遅刻しがちで、禁止されていたバイクを使って通学。スカートの下にジャージをはいてまたがり、学校の裏手にとめて、金網をよじ登って登校するのが毎朝のスタイルでした。楽器店にたむろしていた学外の友達とバンドを組んだり、ハンバーガー店やドーナツ店などでアルバイトざんまいだったり。
高1のときには大学生と交際。農家の長男のボーイフレンドがいたことも。和子さんは、娘を奈良市内の短大に進学させ、お茶でも習わせたほうが就職や結婚に有利だと考えていた。高市さんは母親の期待を次々と裏切っていったのです」
高校の同級生もこう語る。
「高校は一応進学校でしたが、進路指導の先生が女子に勧めるのは短大か、4年制大学でも教育学部か家政学部。経済なんか勉強したら頭が固くなって嫁入りで苦労するといわれていました。早苗さんは、そんな風潮に複雑な思いがあったのでしょう。それは成績でも一目瞭然。彼女の学内順位は見事なまでに100番くらい上がったり下がったりしていましたね。
この時期は親に叱られて勉強したのか、ここはバンド活動で忙しかったのかと、その時々の葛藤が成績に表れているようでした。ただ、高3のときの担任が理解ある先生で、型を破りたい彼女の背中を押して、政治経済の方向に向かわせた。その先生が10年ぐらい前に亡くなったときは、総務大臣だった早苗さんが葬儀に駆けつけていました」
1979年に高校卒業。神戸大学経営学部に進んだ高市だが、自由奔放な行動は止まらなかった。高市が大学3年のときに、一家は奈良市に引っ越している。当時、隣に住んでいた住人が語る。
「早苗ちゃんは神戸から高速道路をバイクを飛ばして自宅に帰ってきていたみたいで、和子さんは心配どころか『警察の同僚に娘がスピード違反したら捕まえて、と言っているのよ』と話していました」
そのころの高市は、ヘヴィメタルが好きで、ドラマーとして4つのバンドをかけ持ち。真剣にプロになることを考えていた。音楽だけではない。恋にも奔放だった。
「実家を離れて住んだ下宿に彼氏を連れ込んだことが母親にバレたことがあり『殴られるわ、蹴られるわ、朝まで説教されるわで大変だった』と本人が話していました。
そんな高市さんの大きな反抗が、国家公務員上級試験をパスしていたにもかかわらず、松下政経塾に行ったこと。和子さんは安定した職について平凡でも堅実な人と結婚してくれたらいいと思っていたから猛反対。しかし父親が、夢があっていいじゃないかと、後押ししたのです」(前出・大下さん)
(取材:山内太、小野建史/文:山内太)
【後編】「早苗は日本を牽引する首相になる」娘を褒めなかった母は陰で…高市首相の半生を徹底取材へ続く
画像ページ >【写真あり】初当選の夜、両親とワインで祝った高市首相の貴重写真(他3枚)
