■アートイベントに出展して大人気!屋号「笑吉」の由来は初孫の名前候補
最初は並べるだけだった。陳列棚に老人たちをずらりと飾る。ほとんどがおじいさん。しわだらけの顔。
「老人のほうが、粘土が生きるんですよ。しわがね」
すぐに売れるわけではなかった。たまに1体、ぽつんと買われる。それでも、希望を持たずにはいられなかった。
「商売にしたい」
客の声に押され、おばさんも作り始めた。男物の地味な着物に比べ、女物は色もあでやかだ。棚が一気に華やいだ。
だが、家族は猛反対だった。
「食べていけるわけがない」
それでも、長女のひと言が背中を押す。
「お父さんも、出してみれば?」
娘が出展していたのは、東京ビッグサイトで開かれているアートイベント「デザインフェスタ」。露木さんの作品の写真を見た主催者は興味深そうに尋ねた。
「面白いですね。おいくつですか?」
50代半ばと答えると、さらに関心を示した。
会場での評判は上々。次は広い通路にブースを設置してもらえることになった。
ひな壇にずらりと並べた指人形。しかし、置いてあるだけでは指人形だと伝わらない。そこで、指にはめて動かしてみせる。
「こうやって動くんですよ」
客の顔がパッと明るくなる。ならばと、ひな壇の陰から声を出した。
「こんにちは!」
通りすがりの人が驚いて振り向く。確かな手応えを感じた。
それからは、谷中の店先でも人形劇を始めた。突然しゃべり出す人形に、足を止める人が増えていく。
「自分が面白いんだから、伝わるはず」
最初の演目は『笑い上戸』。続いて『酔っ払い』。2体が笑い合うだけで、客席が揺れた。
屋号「指人形笑吉」が生まれたのもこのころだ。初孫の名前候補に「笑吉」があったが、孫は「翔吉」と名付けられた。
「じゃあ、“笑う”の笑吉はもらっていいか?」
そうして屋号が決まった。
デザインフェスタでは上演時間になると黒山の人だかりができた。
「名物みたいになっちゃって」
人形は改良を重ねた。台座に針金を入れて、座らせたときでもポーズを変えられるようにした。そうすることで、頭と腕が動かせ、表情が豊かになった。
会社勤めを続けながら、日曜は人形劇。教室も続けた。
「50代はめっちゃ忙しかった」
写真に似せて作る「似顔人形」にも挑戦した。少しずつ、確実に客が増えていった。
転機はテレビだった。NHKの番組で特集されると、似顔人形の注文が一気に押し寄せた。
「5年分たまっちゃった(笑)」
そのとき、初めて確信した。
「これで食える」
会社を辞め、教室も閉じる。指人形を作り始めて10年。60歳だった。
(取材・文:服部広子)
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