旧知の神父に説得してもらったり、自らも誠意を込めて対話を重ね、最後には「しぶしぶ」だったが納得してもらえた。泊まり込みもある厳しい試験を乗り越え、見事合格。27歳で日本カトリック神学院の神学生となった。このとき生涯独身という人生を選んだ決断について、
「学生時代や社会人のころに、普通に女性とのお付き合いもありました。研究所にいるときは仕事に、神学校では勉強にがむしゃらで、たまたまこの時期に将来を共にしたいと考える出会いがなく、一人で生きる神父の道を選びました」
神学校入学後に大学時代の友人と再会したとき、「誰かを好きになって、その人と結婚したいと思ったらどうするの」と問われたというが、
「そういうことがあるかどうか、やってみないとわからないと思っているんだ」
とっさに、そう返事をしていた。
「本音でした。いまになって振り返ると、神学校で脱落したり司祭を辞める理由では、結婚や恋愛の悩みより、上長や信者との人間関係のほうが多いのが現実です」
このころから、自由時間まで机に向かい悪魔払いをテーマにした論文も書き始めていた。
「まわりの評価は『くだらない』と『意味がある』という真っ二つでしたね。私自身は、もし悪霊に憑かれて苦しんでいる人がいるならば払ってあげようよ、とのシンプルな思いでした」
2010年3月、神学校を卒業し、東京教区司祭となり、町田教会へ赴任。早くもその1年後には、実績と論文などが高く評価され、ローマ留学を果たす。教皇庁直轄で、17世紀に設立された由緒あるウルバノ大学へ。ラテン語をはじめカトリックの教義や、経験豊富なイタリア人神父と一緒にエクソシズムの現場も体験した。そんなある日、
「下宿近くでバイク事故に遭遇しました。私が茫然と見守っていると、道路脇の雑貨店の店主が『神父さん、彼女のところへ行って、祈ってあげてください』と言う。ハッとして、急ぎ駆け寄り祈りをささげました。日本でお坊さんが重体の人にお経を唱えたら、逆に批判されるかもしれません。また日本では宗教者というと、少し特別な存在になりがちですが、私はカトリックの国の司祭のように、生活のなかの身近な存在になりたいと強く思うようになりました」
約4年間をローマで過ごして帰国すると、教会の結婚問題等を扱う東京管区教会裁判所裁判官に就任。さらに’16年からは、上智大学神学部などで講師として教壇に立つようにもなる。
そしてこの年、田中さんに新たな役割が加わる。某教区の司教からの任命書には、こうあった。
「ヨハネ田中昇神父を祓魔師(エクソシスト)に任命する」
“日本唯一のエクソシスト”が誕生した瞬間だった。
(取材・文:堀ノ内雅一)
【後編】「物静かな女性が豹変、胸ぐらをつかまれ…」日本唯一のエクソシストが明かす“悪魔払い”の壮絶現場へ続く
画像ページ >【写真あり】ストール、儀式書、十字架、聖書、聖水入れ…「エクソシズム」の儀式で使用する道具(他3枚)
