田中神父は、とっさに両親に彼の体を押さえてもらうよう頼んだ。
「別人格の言葉で話し出すというのは、サタン(悪魔)が憑いた一つの現象ではあります。『体が痛い』というのも聖水の効果が現れているのかもしれない。しかし同時に私は、冷静な検証も忘れませんでした。その判断基準は、知らない言語を話すとか、部屋のイスなどが勝手に動くとか、あるいは『おい、田中神父よ。おまえの親は幼いあんたを子供のころに見捨てたな』など、私本人しか知りえない情報を言い当てるなどです。
それらがなかったし、なにより彼は本質的な祈りに全く反応しなかった。そうした肝心な現象の有無が、私たちエクソシストが相手を見極めるポイントなのです」
後日、田中神父は彼の両親と個別に面談した。
「すると、男性の悲惨だった過去がどんどん明らかになりました。両親も『最悪だった』と口にする結婚生活や仕事での孤立など。一時は自死も考えたというんですね。風呂やメシの話というのも、以前の彼の実生活からの言葉でした。
これは悪魔の仕業ではなく、彼自身の抱える精神的な問題と判断して、ご両親と本人にも納得してもらい、最後は信者でもある精神科医に引き合わせました」
医師も「過去のトラウマやPTSDが原因」と診断を下した。昨年10月、中部地方で行ったエクソシズムは、40代の事務職の女性本人からの依頼だった。
「ときどき勝手に体が動き出したりする発作に見舞われ、仕事もできなくなり、体もガリガリに痩せてしまいました。悪魔を追い払い、この苦しみから解放してほしい」
儀式が始まるや、やはり物静かだった彼女も豹変した。
「『オアーッ』という叫びとともに、あの『エクソシスト』の映画まではいかずとも、同じように体をのけぞらせたりで。さらには、先ほどまでの生真面目な様子の彼女からは想像もできないような卑猥な言葉まで飛び出すのです。
そのうち、ラテン語に似たような『ラルロラ』なる言葉が吐き出されて驚いていると、突然、胸ぐらをつかまれました。これは私のエクソシストとしての経験でも初めてのことでした」
しかし、
「このときも肝心の聖水などには反応しませんでした。『悪魔の名前を名乗れ』という問いかけにも無反応。だから憑いてない、とも即断はできないのですが。このケースも、最後にはご両親とも相談のうえ精神科医につなげました。
ご両親の話では、私のところに来るまでに怪しげな除霊師のような人に会っていて、かなりの労力とお金をつぎ込んだとのこと。親御さんにしたら、藁にもすがる思いとはわかりますが、こうしたケースは実に多く、かえってこじらせてしまうのも事実です」
田中神父の場合は、教会への謝礼を受け取ることはあっても、基本は無償で行い、ときに地方への交通費などは持ち出しになることもあるという。
ここでは2つのケースを紹介したが、「やっぱり心の問題か」と思っただろうか。現実的にいま教会に相談しても、「まずは病院へ行ってください」と言われることが多いという。しかし、田中神父の考えは違う。
「これまで5件ほどのエクソシストの出動があって、まだ本当の憑依現象を経験していない私は、エクソシストとしては半人前かもしれませんが、何がなんでも悪魔のせいにするというのもよくないと思うんです。そこは元エンジニアですから、『なぜイスが動くんだ』と、私は考えたりもするわけです。いっぽうで、イタリアで出会ったベテランの老神父から聞いた話では、実際に口から釘を吐き出したケースもあったそうですが。
ただ、目の前に苦しんでいる人や家族がいて、悪魔のせいだと思い込んでいる。その現実があり、悪魔払いに一縷の望みをかけて連絡してきているのに、それを単に精神の病のせいと見放すことは、私にはできません。苦しんでいる人のために祈ること、そうした人の受け皿となることを、教会はやめてはいけないと思うんです」
