子宮頸がんと子宮体がん、そして乳がんは“女性のがん”といわれることもある。多くの人が恐れる女性のがんに罹患しつつも、前向きに乗り越えている人たちがいる。
■政治家になってから高濃度乳房だと知った
「住んでいる自治体によって、高濃度乳房の通知の有無に格差があるのはおかしい。
日本に生きる女性が平等に知る権利を持つべきです」
36年間の芸能生活で培った笑顔が、国会で輝いている。乳がんを経験し、2度の再発と5回の手術を乗り越えた生稲晃子さん(58)が参議院議員に初当選したのは2022年のこと。
生稲さん自身が日本人には比較的多く、マンモグラフィだけではがんを見つけにくい高濃度乳房だったことを政治家になってから知った。検診で高濃度乳房がわかっても、通知の有無は自治体ごとに異なっていた。
生稲さんは冒頭のように、超音波による追加検査を選択できるようにすることを含め、全国一律の通知とするように強く国会で求めてきた。当初、厚生労働省は全国一律の通知には否定的だったが、今国会で方針を転換。実現に向けて動き出すことになった。
「がん闘病経験を生かしてできることがあれば――」
生稲さんの乳がんとの闘いは、2011年に始まった。再発も2度繰り返した。
「元気な姿を見せたい」
という思いから、当初はがんに罹患したことは公表しなかった。
「再発して全摘したときは、本当に卑屈になっている自分がいました。人の幸せを素直にお祝いできない自分が嫌で……」
がん罹患を公表したのは、すべての手術を終えた後の’15年11月のこと。その後も、ホルモン療法の薬を飲み続け、2024年5月にようやく「卒業」。現在も1年に1回、乳腺科を定期受診し、形成外科で右胸に入れたシリコンインプラントの経過観察も怠れない。
「主治医の先生に診ていただいているから大丈夫なのだと思えます。『もういいですよ』と言われるほうが不安になるんです」
闘病経験を生かして、2016年には安倍晋三元総理(故人)が議長を務めた「働き方改革実現会議」の民間議員に。努力の甲斐があって、治療と仕事の両立支援として、生稲さんが提案した「トライアングル型支援(医療・企業・両立支援コーディネーターが連携し、治療をしながら働く人々を支援する仕組み)」が実現することとなった。
「このときはもう思い残すことはないくらい、達成感がありました」
こうした活動がきっかけとなり、2022年に自由民主党から、参議院選挙出馬の打診を受けることに。最初は「無理です」と固辞した生稲さんだったが、「がん患者がもっと生きやすい世の中になれば」という思いが背中を押した。
当選後、2024~2025年には外務大臣政務官(アジア大洋州担当)も務め、13カ国を訪問した。
「乳がんというテーマは万国共通で通じ合えます。がんになってよかったとは言えませんが、この共通項があることはよかったですね」
過密スケジュールに「議員の仕事は本当に体力勝負」と実感する日々。夜の会合、週末の地元活動、各委員会での質問の準備などで、1カ月間休みがなく、睡眠3時間という日もザラだそう。
「要領が悪いんです」
と苦笑いするが、がん経験者として「睡眠とストレス管理は大事」と自分を戒めている。
