■「うちだけじゃなかった」3世にも広がる共感の輪
こうした黒井さんの活動は、孫の世代─「戦争トラウマ3世」へも広がりを見せている。
埼玉県在住の石井みきこさん(41)も、その一人だ。石井さんは九州出身。両親ときょうだいの5人家族のもとで育った。経済的な不自由はなかったが、家庭では父が母に暴力を振るう「面前DV」が繰り返された。
「父は夜に帰宅することが多く、車の音が聞こえるだけで『また始まる』と身構えていました」
幼稚園に入る前から頭痛や視界のかすみに悩み、小学校では教室に入れないことも。教師には「夫婦げんかはどこの家にもある」と言われ、「苦しい自分がおかしい」と思い込んだ。しかし、その苦しさは大人になっても消えなかった。
「子どものころから『大したことじゃない』と言われ、『つらい』と口にすれば人間関係が壊れる気がしました。一人で抱え込むしかなく、仕事も長続きせず、結婚後は夫に感情をぶつけることも」
39歳で複雑性PTSDと診断され、両親と距離を置いても、「父はなぜあんな人になったのか」という疑問は消えなかった。そんなある日、ベトナム帰還兵の家族を描いたアメリカのドキュメンタリー番組を見た。
「家族の雰囲気が自分の家と似ていて、『戦争の影響なのかな』と思いました。でも父は戦争を経験していない。何がつながっているのかわかりませんでした」
疑問が解けたのは昨年11月、黒井さんの活動を紹介するテレビ番組を見たことがきっかけだった。
「そのあと『家族会』に参加しました。さまざまな2世の方々に話を聞くうちに、『父も戦争トラウマ2世だったのではないか』『祖父にも戦争の影響があったのではないか』と確信したんです」
父方の親戚に尋ねると、幼少時代に父は、復員兵の祖父から軍隊式の体罰を受けていたことを知る。石井さんは、さっそく祖父の軍歴を調べた。
「1912年生まれの祖父は29歳で召集され、内地勤務ながら捕虜収容所などで働いていました」
専門家からは、高齢で徴兵された祖父は軍隊内で厳しい扱いを受け、捕虜収容所でも過酷な任務に就いていた可能性があると聞いた。
「祖父が父にしたことも、父が家庭でしたことも許されません。でも、戦争トラウマという視点で見ると、個人だけではなく、社会全体の問題だと気づいたんです」
石井さんは今年3月、同じように生きづらさを抱える女性たちの語り合いの場「日本兵の家族かもしれない人の家族の『もやもや』を語る・聞きあう会」を立ち上げた。
「参加者の方は、『自分の家だけがおかしいと思っていた』『誰にも話せなかった』という人ばかり。でも話し始めると、『うちだけじゃなかった』と気づく。それでやっと、『この痛みは感じていい痛みなんだ』と、自分を肯定できるようになるのです」
戦争は終わっても、その傷は家庭の中に残り、子や孫へ受け継がれていく。「だからこそ、政治を預かる人たちには、戦争を軽く考えてほしくない」と石井さんは話してくれた。
家族会代表の黒井さんもこう誓う。
「為政者が戦争を始めようとしても、白旗を掲げ続けます。それこそが、先の戦争で他国の人々を殺め、そのトラウマに苦しみながら死んでいった復員兵たちの願いだと思うからです」
復員兵の家族は、今日も空高く平和のシンボルである白旗を掲げる。新たな悲劇を生まず、戦争の傷をこれ以上誰にも受け継がせないために──。
(取材・文:和田秀子)
画像ページ >【写真あり】「もやもやを語る・聞きあう会」を立ち上げた石井さん(他1枚)
