■福井県の海で漁船が見つけた翼音さん。「娘さんは頑張って浮いてくれていた」
輪島市の地元の学校が再開されたのは2月に入ってからだった。
「翼音はよく頑張って、成績はよいほう。公務員になりたいって言っていました」
そんな将来の夢を温めていた翼音さん。一方、祖父の誠志さんにとっても、前向きになれる出来事があった。
全焼してしまった1200年の歴史がある輪島朝市の伝統を守るため、各地で出張輪島朝市が開催されることになったのだ。
朝市が復活することは職人の誠志さんの生きる糧となり、孫の笑顔が背中を押してくれたと、誠志さんが語る。
「地震で店や家を失ったじいちゃんやばあちゃんのつらさを、子供ながらに感じたのでしょう。出張朝市として再開するときも、朝早くから起きて、手伝ってくれてね」
翼音さんは接客、商品の包装、支払いのやり取りなども任せられた。鷹也さんが続ける。
「最初はお小遣い目当てだったのかもしれませんが、そのうち『お小遣いがなくても、朝市手伝いたい』と言うように。翼音なりに祖父母を助けたかったのでしょう」
中学3年生の夏休みには金沢市の高校に体験入学。卒業後は野々市市で仮住まいする祖父母の家に住んで、金沢市の高校に進学する計画も立てていた。
そんな夏休みのある日のことを、誠志さんが思い出す。
「私が木製のカップに、漆で白や茶色のフクロウの絵を描いていたんです。それを見た翼音が『じいちゃん、フクロウにかわいい色をつけてみてよ』って言うんですね」
伝統工芸士(伝統的工芸品の伝統的技術・技法を有している人の称号)である誠志さんには、リアルな動物画の発想しかなかった。
「パステル調の色なんて、翼音ならではのアイデア。それに翼音は、“1羽じゃなく、2羽のフクロウが寄り添うようにしてよ”って言うんです。それだとカップルのようにも見えるし、親子やじいちゃんとばあちゃんのようにも見えるからって。
言われるまま絵付けをしていくと『じいちゃん、これ、絶対に売れるよ。私も朝市で売るから』って自信たっぷりに言ってね。実際に富山市の出張朝市で、初めて出品したとき、フクロウのカップは完売したんですよ」
しかし、その喜びを翼音さんに報告することはできなかった。
富山市での出張朝市の前日夜から、輪島では強い雨が降っていた。翌日の9月21日早朝、鷹也さんはサッカーの試合に出場する長男を、最寄り駅まで送った。
「輪島駅では雨やったけど、試合のある志賀町では大したことがないみたいでした。出社するときに自宅前の塚田川を見ましたが、泥水にはなっていても水量は増えていなかったんです。昼ごはんを食べに自宅に戻ったときに水量をチェックしようと思っていました。その日は土曜日で学校が休みやったから、翼音のこともそのまま寝かせていたんです」
自宅から車で10分ほどの場所にある会社に出社しても、周囲の景色は変わらないため、知人から「塚田川が大変なことになっているみたいやけど、大丈夫か」と電話があったときも、信じられなかった。だがしばらくして、もう1回「本当にやばいらしいぞ」と電話があったことで、鷹也さんは翼音さんにビデオ通話をした。
「翼音は『まわりが海みたいになっとる』と言って……。部屋のドアを開けようにも、水圧で開かんようになっていたんです」
3階建ての家で、翼音さんがいた2階の自室にまで水が上がってきていたのだ。
「翼音は外を見て『水に流されて車庫がないよ』って。『そんなん、いいわ! それよか絶対に出るなよ』って伝えました。外に飛び出しても溺れ死ぬだけだと思ったんです。ぬれて体が冷えるかもしれんから、とっさに『とにかく長袖長ズボンをはいておけ』とだけ伝えて、消防署に電話するために一回電話を切りました」
富山の朝市に出店していた誠志さんと悦子さんも、急きょ、店を片付け、輪島に戻り始めた。
「翼音に電話したら、落ち着いた様子で『大丈夫』と言っていたんですが、それが最後の言葉に……」(悦子さん)
鷹也さんも翼音さんへのビデオ通話を切ってすぐに家に戻ろうと車に乗ったが、あちこちが水浸しになっていて、3時間ほどかかって自宅近くに到着。だが規制線が張られ、それ以上進めない。「家族なんです! 家があるんです! 娘がいるんです!」という鷹也さんの声があたりに響いた。
自宅は濁流に押し流され、大破したようだった。翼音さんの姿は見つからないし、電話をしても通じない……。
捜索活動には、鷹也さんの友人や地元の漁師たちも協力してくれた。通常なら3~4日で打ち切られるところ、犠牲者のなかで翼音さんだけが見つからず、延長して捜索が続いた。“無事におってくれ”と一縷の望みを持ち続けていたが、日を追うごとに鷹也さんは憔悴していった。
そして豪雨から10日後のことだった。福井県の海上保安庁から電話があり、「おそらく娘さんだと思います。長ズボンに『喜三』と名前が入っています」と伝えられた。
「反抗期で、ボクの言うことはあまり聞いてくれませんでしたが、最後に言うとおりに長袖長ズボンをはいていてくれて……。名入りの学校のジャージーやったから、身元もすぐに判明したんです」
見つけてくれたのは、福井県の漁船。陸から30キロ離れた沖で、甘エビ漁の漁師が奇跡的に発見したのだった。
「大きな船で、ふつうなら気がつかんところ、スッと横切る翼音を見つけてくれたんです。目を離すと二度と見つからないから、海上保安庁が到着するまで、浮いたままの翼音のそばにいてくれました。発見してくれた漁師は『沈んでしまったらわからなくなるところでした。娘さんは頑張って浮いてくれていた。だから褒めてあげてください』と……。家に帰るために、翼音は本当に頑張ってくれました」
亡きがらの損傷は激しく、見ないほうがいいと止められた。
「あまりにも違う姿やからって……。家族で話し合って、対面はせず、かわいい姿のままの翼音の記憶だけを残すことにしました」
(取材・文:小野建史)
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