■母と夜逃げ。当時の家に帰りたくなくて高校生で“ホームレス”状態に
手塚麻里さんは1985年4月23日、母方の実家がある長崎市香焼町で生まれた。2人兄妹の妹だ。
父の仕事の都合で3歳まで千葉県で過ごし、横浜市に引っ越した。
「いまでいうニュータウンで、周りの子は習い事に忙しい教育熱心なエリアです。
父は半導体を扱う会社の社員で、3歳のころ、ハワイ旅行に行った記憶があるほど、生活にゆとりがありました。私が小学校低学年のころに父は独立しています」
1998年に中高一貫の進学校・桐蔭学園中学校女子部(現・桐蔭学園中等教育学校)に入学。
このころに描いた将来の夢は「アフリカの自然保護区で、野生動物を保護するスタッフ」だった。
「そのスタッフになるには『獣医師免許が必要』と知りました。
そして中3のときに、北海道のホストファミリーのお父さんが亡くなりました。医師の到着を待っている間に亡くなったと聞かされ『将来は、鹿追町の医師になろう』と思ったんです」
夢が見えてきた手塚さんが突然の悲劇に見舞われたのは2001年9月、高校1年生のときのこと。
「父が、仕事で大きなトラブルに巻き込まれたんです」
それにより、両親は離別。母、兄と手塚さんは「夜逃げ同然に」横浜市の自宅を出て、都内の母の親戚宅に身を寄せた。
「身一つで家を出てきたようなもので、家賃も出せず、居候状態でした。それでも、親切にしてもらっていたんですが……」
中高一貫の桐蔭学園も「やめざるをえないと覚悟した」という。
担任に退学の意向を伝えると、「理事長にも報告してください」と言われ、理事長室へ。
そのとき故・鵜川昇理事長に言われた一言は、想定外だった。
「あなたが学校にいたいと思えば、卒業まで通っていいですよ。学費は免除します」
真剣な表情で諭す理事長の言葉を、手塚さんはいまも忘れない。
「卒業後も、お金を返そうとは思わないでください。
もし恩返ししたいとの思いがあるなら、社会人になって、あなたのような状況の子たちの力になってください」
「母はバイトしながら、掛け持ちできる仕事を探しにハローワークに通いました。兄は母の相談相手になりながら、受験勉強を。
私はというと、母と面と向かえば『ごめんね』と謝られるばかりで、いたたまれなかった……」
高校退学は免れたものの「心は空虚だった」と手塚さんは明かす。
「高校の学費も払えないんだから、大学の医学部には行けない=医師になれないのは見えていました。
母は『自分のせい』と謝るんですが、私は『謝って解決する問題じゃない』という思いがあって」
それから公園通いが日課になり、毎日、ちょっとずつ家に帰るのを遅くしていきました」
夕食どきを過ぎても「図書館が20時までだから心配しないで」と告げて、帰宅時間を延ばした。
以来、いろんなホームレスの人と話をして公園で過ごした。
ある夜、中年女性から「いつもいるねえ。家出したんかい?」と問われ「そんな感じですかね」。
寒さをしのぐ方法を教えてもらい「仲間入りできた」気がした。
「母に『友人宅に泊まる』と断っておいて、朝帰りも増えました」
翌春には、上野公園にも足を運ぶようになっていた……。
その夏ごろ、母の収入のめどが立ち、神奈川県大和市で2LDKの一戸建てを借りられることに。
まだ家具も入れていない殺風景な洋室に、母はゴロンと寝そべって、こんなふうにつぶやいた。
「やっと家ができたね。やっぱり家っていいね……」
その一言に、心から安堵した。
「母はフーッと一息ついて、ホッとした顔になりました。それを見て、私も『よかったなあ』と」
それをもって、家出少女は帰還した。手塚さんは“ホームレス生活を卒業”したのだ。
2011年11月に、会社員の手塚一浩さん(45)と26歳で結婚。
長女・理音さん(12)、長男・浩翔くん(10)、次男・悠真くん(7)と、3人の子宝にも恵まれた。
「すっかり手狭になった」手塚家は「家族旅行に行って気に入った」神戸市に2019年2月に引っ越し。
その3階建ての一戸建て住宅が、「こども万博」の出発点となる。
