■計128コの「やりたいこと」が原点。スピーチ大会から発展してこども万博に
「牛乳こぼしちゃったの!」
「わぁ~、じゃあ、みんなできれいにしてみようか?」
神戸に越してほどなく、手塚家の1階の洋室は、午後に近所の子たちが集まる遊び場になっていた。
次第に親も訪れて情報交換するようになり、サロン状態に。
「ウチは子ども3人でにぎやかですし、オープンでしたから、みんな来やすかったんだと思います。
そのうち夕食まで食べて帰る親子も出始めて、週末には7人くらいが寝泊まりするようになって」
未就学児から小学校低学年までが集まれば、習慣ができてくる。
その一つが子ども同士の「お片付け」であり、また、手塚さんが親とやり取りする「レポート」になる。
「お子さんの様子を『今日はこんなことがありました』と書いて、報告していました。それを読んだ親が『そんな表情、ウチでは見せないですよ』とビックリしていた。
いっそのこと親子で、何かできれば素敵なんじゃないかと思いました」
ある日、子どもたちに「夢」を聞くと「言いたくない」「言ってもかなえてくれないじゃん」。
ようやく答えた子は「お父さんが医者になれって言う」と。
そこで「やってみたいことは?」と聞くと「いっぱいあるよ!」。
「大きなスライムを作りたい」「好きなお菓子を山ほど買う」「お風呂サイズのゼリーに入って、ずっと食べてみたい」……。
「それを付箋に書き出して、ぜんぶ壁に貼り出しました。12人の子たちで、計128コのやりたいことが集まったんです」
それが2020年2月、コロナ禍が始まる直前のことだった。
「コロナが終わるまでに何コできるか、やってみようか?」
たとえば、お風呂サイズのゼリー作り。
「大量に作ったんですが、冷蔵庫に入らず、固められなくて失敗。その子も、『ゼリーに入ったらゼリーが汚れちゃうし、冷蔵庫に入ったら私も固まっちゃう』っていうことに気がついたんです」
近所の製パン店にレシピをもらって、パンを焼いてみたことも。
「コロナ禍でしたが、消毒予防はしたうえで、『マスクを外していいよ』と。親にも『自己責任でよければ』と理解してもらいました」
そんな日々が、丸2年続いた。
「私が気がかりだったのは、当時の小学1~3年生が、コロナ禍で学校のイベントが経験できなくなってしまうこと。
高学年になれば、受験する子は受験態勢に入ってしまうので、低学年のうちに、みんなで参加するイベントを経験しておかないと、もったいないと思いました」
そこで発想したのが、30人ほどの大人数が一堂に会して発表するスピーチ大会の開催だった。
「やるならキチンとした形をということで、信用を得るため2022年5月に株式会社を設立しました」
それが「こどもCandy」で、もちろん社長業も初めてのこと。
旗揚げスタッフは、ママ友などのつてから3人に依頼し、各自と業務委託契約した。
4年前の2022年9月、神戸市で初めて「こども万博」を開催、1千500人が集まった。以後、他県でも行い、注目される。
そして2025年、EXPO2025大阪・関西万博のフィナーレに出展。2日間で計2万4千人が来場した。
手塚さんの原点は、小学生時代に過ごした北海道鹿追町での2年間にある。
「私が住んでいた瓜幕地区は人口500人ほどで、大人も子どもも全員顔を知っている。誰にでも挨拶するのが当たり前で、『大人はどのウチの子でも??る』町でした。
子どもがもめれば、親もみんなで解決する。地域で育てているというコミュニティでした」
北海道での原体験、新宿のホームレスとの日々、そして128コの夢、すべてが今日につながっている。
高校1年生のとき、鵜川理事長に託された「あなたのような状況の子たちの力になってください」。この言葉の力強さと恩を忘れずに、こども万博をライフワークとして続けていく。
「大人の損得勘定は、『子どもの夢を応援する』こととは無縁です。逆に言えば、大人が子どもを応援する世の中なら、みんな協力して、できることに全力で取り組める。
こども万博で子どもが夢に向かい、大人は大切なことに気づく。みんながみんな、胸を躍らせる。そんな世界平和もあるって、本気で信じています」
夢を書き出す手塚さんの手は、止まりそうもない。
その数が増えるほど、それに向かう子どもと、応援する大人たちの輪が広がっていく。
ワクワクが止まらない。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】元ホームレス高校生が主宰する「こども万博」で描く、世界が少し平和になる未来へ続く
画像ページ >【写真あり】高校1年生のとき両親が離別。母、兄とともに「夜逃げ同然に」母の親戚宅に身を寄せる。やがて“ホームレス高校生”に(左が手塚さん)(他3枚)
