神戸市の自宅1階の洋室で、近所の子どもたちに「夢」を書き出してもらうと「128コ」あった。’20年2月の出来事だ 画像を見る

【前編】夜逃げ・ホームレス経験から累計10万人動員の「こども万博」を主宰する手塚麻里さんから続く

 

高校生のときの夜逃げ、“ホームレス体験”という過酷な経験を経て、現在は子どもたちの夢を「形にする」プログラム=こども万博を主宰している手塚麻里さん。その参加者は全国で累計10万人にも及ぶ。

 

手塚さんが突然の悲劇に見舞われたのは2001年9月、高校1年生のときのこと。

 

「父が、仕事で大きなトラブルに巻き込まれたんです」

 

学校が終わっても「母がため息をつく場所にいたくない、すぐ帰りたくない」と寄り道するように。

 

ある下校時、新宿駅で下車して、新宿中央公園まで足を延ばした。

 

「ベンチに腰掛け教科書を開いていると、時間を忘れられました。

 

公園には、昼夜を問わず「いろんなホームレスがいた」という。

 

「出没する時間帯、においの違い。だいたいの方が、爪が黒ずんでいるんですが、一人だけ、小ぎれいな手の男性がいたんです」

 

服装は長袖・長ズボンで、髪は「ぐしゃっとしていた」が「手がメチャきれいでした」。

 

ある晩、ふと目が合って、縁石に座るその男性に話しかけた。

 

「すみません……」「えっ?」

 

そろり近づくと「家出したの?」。

 

「私は『違います』と答え、逆に『あなたは家出したんですか?』と聞くと『そんな感じかもね』と」

 

手塚さんは「何があったんですか?」と聞き始めた。

 

「50代の現役の社長さんとわかりました。家族もいて自宅もある人。でも『ひとりでボーッとする時間がどこにもないから』ときどき、この公園で過ごすんだと」

 

そんな話をしているうちに日付が変わり、帰宅は明け方になった。

 

「もう始発が走っていました」

 

その夏ごろ、母の収入のめどが立ち、神奈川県大和市で2LDKの一戸建てを借りられることに。

 

まだ家具も入れていない殺風景な洋室に、母はゴロンと寝そべって、こんなふうにつぶやいた。

 

「やっと家ができたね。やっぱり家っていいね……」

 

その一言に、心から安堵した。

 

「母はフーッと一息ついて、ホッとした顔になりました。それを見て、私も『よかったなあ』と」

 

それをもって、家出少女は帰還した。手塚さんは“ホームレス生活を卒業”したのだ。

 

「こども万博とは、子どもたちの夢、やってみたいお仕事、出してみたいお店……そんな思い思いのプランを出し合って、お友達や、保護者と相談しながら、発表するイベントです」

 

記念すべき「第1回こども万博」は2022年9月18日、神戸ハーバーランドのスペースシアターで。

 

「オープニングで、私は『子どもたちのありのままの姿を見てほしいです』と挨拶しました」

 

来場者には「マスク着脱自由、ただし自己責任で」とお願いした。

 

「子どもの発表する姿を泣きながら撮影していたお母さんが『初めてマスクなしの子どもの笑顔が撮れました』と話してくれました」

 

総勢50人が出場し、来場者は、なんと1千500人にも上った。

 

「ボランティアにもお世話になったのですが、完全に赤字でした。持ち出しが100万円くらいまでなら、なんとかなるかなと思っていましたが、実際は300万円以上でした」

 

神戸に越して以来、定職に就いていなかった手塚さんは、貯金を取り崩して充てていたのだ。

 

2020年から彼女をサポートしている女性スタッフが言う。

 

「収支は経営の基本のはずですが、麻里さんは子どもの笑顔が優先で、収益度外視なんです。

 

それでいて『また働けばいいか、私、頑張るから!』って屈託ない笑顔で言われると、みんな、いつの間にか手伝っている。人を巻き込む力のある女性ですね」

 

すると、思いがけぬ方向から手が差し伸べられることに。

 

大阪・関西万博への出展を募る兵庫県万博推進課から、「こども万博の詳しい話を聞きたい」との問い合わせがあったのだ。

 

その後、トントン拍子に出展が正式決定。その間もこども万博は継続して、全国で30回ほど開催。

 

計6万人を動員した実績を引っ提げ、いざ大阪・関西万博に臨んだ。

 

迎えた10月10、11日の両日、会場のEXPOメッセ「WASSE」で、フィナーレのイベントとして、こども万博を開催。

 

和太鼓パフォーマンス、模擬店、種々の職業体験発表、夢スピーチコンテストなどを展開し、2日間で2万4千人を動員した。

 

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